岡崎慎司が明かすW杯最終予選、劇的ゴールの後日談。「勘違いして天狗になることはなかった」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Jinten Sawada/AFLO

 結果は本人の見立てどおり。日本代表をワールドカップ出場に導く大仕事も、CM出演につながることはなかった。

「なんやって感じだったんですけど(苦笑)、でも、だから僕も勘違いして天狗になることはなかったし、それもある意味、自分らしいというか。あの(ダイビングヘッドでのゴールの)決め方も含めて、自分らしさが詰まっていたゴールだと思います」

 2009年当時の日本代表を振り返ると、岡崎がまだ実績に乏しい若手だったのと同様、本田圭佑もベンチに座ることが多く、その後日本代表の顔とも言うべき存在になる長谷部誠も、すでに主力のひとりではあったが、その左腕にまだキャプテンマークは巻かれていない。

「僕の中では、あの試合にハセさんがいた記憶もないくらいです(笑)。やっぱり、当時の日本代表の中盤は、俊さん(中村俊輔)のイメージが強いですね。後ろは(中澤)佑二さんと(田中マルクス)闘莉王さんがセンターバックにいて、GKには楢崎(正剛)さんがいてくれて。前だったら(大久保)嘉人さんとか、そういうイメージです」

 岡崎をはじめ、本田、長友佑都、内田篤人ら、いわゆる"北京世代"は、のちに日本代表の中核を成すことになるのだが、当時はまだ"夜明け前"。ようやく萌芽が見え始めた頃だった。

「その(北京世代の)なかで言ったら、A代表に入るのは、実は僕が一番遅かったんですよ。みんな、もう(2008年の)北京五輪の前に入って何回か招集されていましたから。圭佑とも今では考えられないくらい一緒にコンビニへ行ったり、ゲームショップへ行ったりしてたんで、懐かしいですね(笑)。そういう同級生の存在がありがたくて、それは今も変わらないですけど、当時はアイツらがいたから、(代表でも)ふだんからひとりになることもなく、いられたっていうのはありますね」

 とはいえ、当然、同世代ゆえの「ライバルっていう意識はありました」。岡崎は懐かしそうに述懐する。

「佑都やウッチー(内田)は、もうかなり(先発で試合に)出ていたのに、僕はレギュラーをとりきれていなかったので、佑都とかが試合に出ている時は、うれしい反面、やっぱり悔しかった。だから、もう必死でしたよね。もっと点をとりたい、ポジションをつかみたいって」

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