マイアミの奇跡から25年。伊東輝悦が振り返る得点シーン「ボールに触ろうかギリギリまで迷った」 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by Jiji Photo

「当然、初めの頃は感じましたよ。自分のなかでは『ボランチは守備の人』という勝手なイメージを持っていたから、そのポジションをやるとなった時、『いや、俺はそんなに守備は好きじゃないし、できるかな』って。

 でも、実際にプレーしてみたら、ボランチは守備だけをするわけじゃなく、そこから攻撃にも出て行けることがわかって、それならできそうだ、面白いなって思えるようになりました。それに西野(朗)監督も、僕ができもしないような無茶な要求はしてこないだろうって」

 当時の日本サッカー界は、プロ化してからまだ3年目。そんななかで、銅メダルを獲得した1968年メキシコ大会以来、実に28年ぶりのオリンピック出場を果たした日本は、グループステージ初戦でサッカー王国ブラジルと対戦。オーバーエイジ枠を駆使した優勝候補筆頭のブラジルに対し、日本は見事に下馬評を覆して見せた。

---- 初戦のブラジル戦には、どのような準備をして臨みましたか?

「担当スタッフが集めた映像などを見せてもらって、それなりの準備はしていたと思いますが、データ分析などの情報量は今とは比べものにならないくらい少なかった。それと、気持ち的なところでは当然、ブラジルはデカい相手なのでリスペクトはするけど、しすぎるのもよくない。だから、相手や会場の雰囲気に呑まれないように心がけました。

 実際、整列するまでは自分でも緊張しているのがわかったけど、いざ試合が始まったら、それも気にならなくなった。適度な緊張感でプレーできていたと思いますよ」

---- 実際に戦ってみて、ブラジルはいかがでしたか?

「シンプルに、『こいつら、うめぇなぁ』って(笑)。ちょうど僕の対面でプレーしたのがリバウドだったんですけど、サイズもデカくて、ボールテクニックもあって。となりのジュニーニョ・パウリスタも速いし、うまいし、やっぱり強かった。

 日本の試合の入りもよくなくて、ずっと相手に押し込まれて、最後に(川口)能活がセーブするという展開が続いたので、全体的にはうまくいってなかった。ただそれも、前線、中盤、最終ラインと、相手にプレッシャーをかけて、ある程度の制限をかけることができていたからだと思います。欲を言えば、あそこまでシュートチャンスを作らせないほうがよかったんですけどね」

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