遠藤保仁vs中村憲剛。どっちのスルーパスがすごかった? 玉田圭司が詳細解説 (3ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

 パスに関してはスピードにすごくこだわっていた印象です。代表で一緒にプレーした当時の川崎フロンターレが、縦に速いサッカーをしていたのも影響していたかもしれません。

 こうしてお互いの特徴を把握しながらプレーしていき、どんどん感覚が合っていきました。僕が受け手の場合が多かったわけですが、感覚が合ってくると僕のタイミングで自然に動き出すほど良いボールが来ました。

 実はこうした選手はなかなかいません。シビアな局面でも「ここにつけてもらえれば自分はより生きるのに」と思うことがあるんですが、そこで怖がってパスが出せない選手や、そもそも見えていない選手はたくさんいます。

 でも2人はそういったところもちゃんと見えているし、パスを出してくれていました。「ここに出してほしい」という場面で、これ以上ないパスが来るとうれしくなるし、リズムにも乗れるし、どんどんサッカーが楽しくなって、気持ちいいんですよね。

 そうして通じ合えた時は「これこそサッカーだよな」と思う瞬間です。その意味でも、やはり2人は特別な選手だったと思います。

 代表で一緒にプレーした当時は「同じクラブで一緒にサッカーしたいな」とよく思っていましたね。クラブでもっと長い時間一緒にプレーできれば、より理解し合えたのではないかと。

 対戦相手としてプレーする機会は何度もありました。その時の印象は、ヤットさんは本当に嫌らしいプレーヤーで、憲剛はより脅威なプレーヤーでしたね。

 ヤットさんは、彼がいることで周りの選手が生きて、能力が上がるんですよね。チームが"大きくなる"ような印象がありました。とくにガンバ大阪時代は中盤の選手たちが強力で、「中盤だけでこれだけゲームを支配されるものなのか」とよく思っていました。

 憲剛がより脅威と感じたのは、それだけゴールに直結するパスが多かったからです。とくにジュニーニョなどに象徴されるように、前線にスピードのある外国人選手が多かった時代にその印象が強く残っています。スピードを生かすために直線的なスルーパスや、その選手がどう受けたいかを理解した決定的なパスを何本も通していました。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る