日本代表、南アW杯でオランダに完敗。本田圭佑にそのオランダの水が合っていたのはなぜか (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 岸本勉●写真 photo by Kishimoto Tsutomu

 後半始まってすぐ、日本は自陣でのセットプレーを多く与えてしまう。そのたび、失点の確率は上がっていった。劣勢は明らかだ。

 そして53分、ロビン・ファン・ペルシーのポストプレーの後、ウェズレイ・スナイデルに豪快なミドルシュートを叩き込まれた。

「失点は仕方がない。相当に効率的な動きをせんと、得点は無理やったと思う。松井(大輔)さんと(本田)圭佑と3人で動きを微調整し、効果的な攻撃を考えていたけど......」

 オランダ戦に3トップの一角として先発した大久保嘉人は、厳しい戦いをこう振り返っていた。

「オランダ相手に、あの展開(劣勢)は仕方ない。(カメルーン、デンマークには勝てたが)日本とオランダでは、当時はまだまだ差があった。前には広いスペースがあったから、カウンターのチャンスはあったと思うし、俺はFWとして一泡吹かせてやりたかったけどね。まあ、客観的に見れば、オランダの楽勝だったでしょ?」

 オランダはできるだけ早く勝負を決め、「次の試合に向けて主力を休ませたい」という思惑が透けて見えた。事実、1-0とリードした後は、ラファエル・ファン・デル・ファールト、スナイデル、ファン・ペルシーといった中心選手を次々と下げている。その点でも、彼らは効率的で合理的だった。

<解答に辿り着くところに、まどろっこしさがない>

 その様式に共感できる日本人選手は、オランダで才能が触発するのかもしれない。嫌われようと好かれようと、率先して行動できた本田は、その典型と言えるかもしれない。

 2005年にオランダで開催されたワールドユースで、本田は初戦のオランダ戦に出場したが、低調なプレーに終わった。結果、それ以降は先発を外されたにもかかわらず、単純に悔しがるのではなく、日本のサッカーに冷徹な視線を向けていた。「中盤でボールを持てないと、勝てない」と、世界で勝つイメージを持ち、実現の努力を始めていた。

 そして2006年時のインタビューで、日本サッカーのパイオニアになった中田英寿について訊いた時、本田の答えは啓示的だった。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る