「もうね、終わったと思いました」。岩清水梓が明かすなでしこW杯優勝と絶望もあったその舞台裏 (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

「あれは"岩清水梓"っていう名前を知ってもらったプレーですよね(笑)。自分としてはイエローカードの覚悟でいってレッドだったから。右でスライディングしたでしょ?ホントは膝裏で(ボールを)取る予定だったんです。ちょっとかわしに来られたんだなっていうのはあとから映像を見てわかりました。だからと言って、ペナルティエリア内に入られたら止める自信はなかった。(アレックス)モーガンはシュートも速いし、うまいし、角度をつけられて(ゴールの)ファー側に蹴られるイメージが鮮明に浮かんだんです。あれは行くしかなかったですよ」

この記事に関連する写真を見る そんな困難を経て昇りつめた世界の頂点。そこから見た景色は格別だったに違いない。岩清水にとってW杯優勝とはどんな意味を持つものになったのだろうか。

「漠然と振り返るとするならば、女子サッカーにとってはすごく影響の大きい大会になりましたよね。そして震災とは切り離せないものだと思います。ワールドカップを振り返ると震災の記憶も一緒に戻ってくるんです」

 岩手県出身の岩清水は決勝後、想いを込めたメッセージを連ねた日本国旗を持ってウイニングランに臨んだ。震災復興の活動は今もなお続けている。

 あの高揚感はあそこに立った者にしか理解できない。けれど冷静になった時に、見えてきたものもある。

「挑戦者としての怖いもの知らずみたいな強さがありましたよね。あのあとはいろいろ見えたり、プレッシャーを感じながらオリンピックやワールドカップを戦わせてもらいましたけど、本当の意味で『100%挑戦者として優勝を獲りに行く!』っていう立場で戦えたのはあの大会だけ。知らないからこそできたことがたくさんありました」

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