やっぱり垣間見えた海外組と国内組との差。事故では片づけられない失点 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 もちろん90分の試合のなかでは、"弱者"の側にも多分に偶発性を含んだチャンスが1度や2度は訪れる。それがサッカーという競技だ。失点したこと自体、それほど目くじらを立てる必要はないのだろう。

 しかし、この失点は偶発性を含んだもの、すなわち"事故"と表現されるようなものだったのだろうか。そこに疑問が残る。

 シュートそのものは、相手のタジキスタンを称えるしかない。

 右サイド(日本から見て左サイド)から入ってきたクロスは、スピード、コースともに申し分なく、それに合わせたヘディングシュートも完璧だった。

 タジキスタンのレベルを考えれば、いつでも当たり前にできるプレーではないだろう。クロスとシュートだけを切り取るならば、事故と表現してもいいのかもしれない。

 だが、問題はそこに至るまで過程だ。

「失点の少し前からボールの奪われ方が悪かった」

 ボランチの川辺駿がそう語ったように、日本はタジキスタンの攻撃を防ぎながら、奪ったボールをつなぐのか、大きく前へ蹴り出すのか、はっきりせず、すぐにボールを失ってしまうシーンが続いていた。

 センターバックの昌子源も「右サイドで2回くらいボールを失って、連続で攻められた」と、失点前の時間帯を振り返る。

 はたして、決定的な場面がやってくる。

 DF山根視来がタジキスタンのクロスをカットし、奪ったボールを前方のMF古橋亨梧へとつなぐ。だが、フリーだった古橋は余裕を持ち過ぎたのか、次のプレー選択に手間取り、相手選手にボールを奪われてしまう。

 そこからゴール前に入れられたボールを一度は昌子がクリアするも、またしてもタジキスタンに拾われ、前述の正確なクロスへとつながるのである。

 古橋にミスがあったのはもちろんだが、その後方にいた山根にしても、古橋が失ったボールに対する寄せが遅れていたし、昌子もまた「クリアを慌ててしまって」蹴り出したボールが小さくなり、楽々とタジキスタンに拾われることにつながった。

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