大勝した日本代表の出場メンバーに抱いた違和感。左利きがゼロだった (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 岸本勉●写真 photo by Tsutomu Kishimoto

 もっと言うならば、この日プレーした途中交代を含めた16人の選手の中に、左利きは1人もいなかった。フィギュアスケートやアーティスティックスイミングではないけれど、これでは芸術点は上がらない。

 美とか芸術とか、サッカーに関係ないだろう。大切なのは、美しいサッカーではなく勝つサッカーだと、突っ込まれそうだが、美しさにはバランスという要素が含まれている。そしてバランスはサッカーで最も重要な要素であると、視角の鋭いフクアリの上階からピッチを俯瞰すると、あらためて認識させられる。

 かつては本田圭佑がいた。それ以前は中村俊輔がいて、チームメイトには右利きなのに左利きのようにプレーする小野伸二もいた。さらにその昔には名波浩が大将然と構えていた。彼らが存在することで、右対左のバランスは保たれていた。

 ロシアW杯以降、本田と入れ替わるように登場した久保建英(ヘタフェ)には、この日、出場機会は与えられなかった。左SBもできる左利きのCB中山雄太(ズヴォレ)も同様だ。

 というわけで、ミャンマー戦の日本代表には、最後まで違和感を抱えながら観戦することになった。イメージ的にいうと、右回転(時計と反対回り)するサッカーだ。そこから左右均等に流れるサッカーに、日本代表は変貌できるか。隠された課題だと思う。

 小川諒也、中山雄太、久保建英、坂元達裕(セレッソ大阪)、堂安律(ビーレフェルト)、三好康児(ロイヤル・アントワープ)......。左利きである彼らを、ピッチにどうバランスよく落とし込むか。

 左右のバランスが整えば、サッカーは間違いなく効率的になる。眺望に優れた急傾斜のスタンドから、「映える」サッカーを堪能することができる。この日もベンチ脇から指示を飛ばしていた森保監督だが、スタンド上階から俯瞰すれば、その妙な生真面目さも、多少は和らぐのではないか。よりよいアイデアが浮かぶのではないかと言いたくなった。

 折しもこの日、川崎フロンターレの本拠地、等々力陸上競技場が、球技専用に改築されるというニュースが報じられた。そのサッカーは俯瞰した時どうなのか。見映えのいいサッカーの追求は、強化と同義語だと、この日、フクアリの記者席であらためて実感した次第だ。

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