身長も期待も大きかったが...。日本代表に定着できなかった大型FW5人 (3ページ目)

  • 津金壱郎●文 text by Tsugane Ichiro
  • photo by AFLO

 だが、その後は鳴かず飛ばずの状況が続き、2008年北京五輪代表メンバーから落選。19歳で出場したアテネ大会に続いての五輪出場はならなかった。

 2010年1月、平山はついに日本代表デビューを果たす。アジアカップ最終予選・イエメン戦で初招集され、初出場でハットトリックを達成して逆転勝利に導いた。しかし、この活躍で岡田武史監督からその後も招集されたがチャンスをモノにできず、2010年W杯南アフリカ大会の代表入りも逃した。

 結局、平山はJ1リーグ通算168試合33得点の記録を残して、2017年かぎりで現役生活に終止符を打った。日本代表歴は2010年の4試合4得点のみ。そのポテンシャルを考えれば寂しい記録だが、大型FWと期待された選手のほとんどが日本代表には辿り着けずにユニフォームを脱ぐことを踏まえれば、まだいいほうかもしれない。

 平山より3歳上の1982年生まれの田原豊も、激しい好不調の波があり、プロ入り後伸び悩んだ選手だ。鹿児島実業高時代は187cmの高さと当たり負けしないフィジカルの強さで、1学年上の松井大輔と2トップを組んだ1999年の全国高校選手権では強烈なインパクトを残し、2001年ワールドユース(現U−20W杯)アルゼンチン大会でもエースを務めた。

 高校卒業後は横浜F・マリノスや京都サンガ、湘南ベルマーレなどでプレーし、J1リーグ戦通算95試合13得点。「和製イブラヒモビッチ」「和製クライファート」と異名を取りながらも日本代表を経験することなく、2015年にJFL鹿児島ユナイテッドでのプレーを最後にユニフォームを脱いでいる。

 1987年生まれで現在はJ3藤枝MYFCに所属する188cmの森島康仁も、ユース年代で残したインパクトを越えられていない選手だろう。2007年U−20W杯ではスコットランド戦で先制点を決めると、当時流行っていた「ビリーズブートキャンプ」のパフォーマンスを披露し、一躍人気者となった。

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