日本代表で本田圭佑の2倍、大迫勇也の4倍。存在自体が「戦術」だった釜本邦茂伝説

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo
  • photo by AFLO

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 現代の目から見れば、釜本のプレースタイルは「ほとんど守備をしない」として批判を受けるかもしれない。いや、彼が活躍していた当時からそういう批判がなかったわけではない。

 しかし、当時の日本代表にとってはそれが戦術だったのだ。

 強豪相手には、とにかく守ってDFはひたすらクリアを繰り返す。そして、なんとか直接もしくはウィンガーの杉山隆一を経由して釜本にボールをつなぐ。それが戦術だった。

 実際、当時のヨーロッパ強豪との試合映像を見直してみると、日本代表は守備一辺倒になってしまっていたことがわかる。クリアしてもセカンドボールを拾われて再び攻撃を受ける。その繰り返しだった。ただ、釜本までボールがつながった時だけは、そこでボールが収まって味方が上がる時間も生まれ、日本の攻撃の形がつくれたのだ。

 釜本は守備のために走り回ったりはしない。だが、前線でボールを収めて守備を立て直すための時間をつくってくれるし、相手チームも釜本が前線に張っていればマークのために複数のDFを残しておかなくてはならない。彼の存在そのものが守備を助けているとも言えるのである。

 釜本が得点を重ねたのは、もちろん国際試合だけではない。

 早稲田大学時代には4年連続で(つまり1年生の時から)関東大学リーグで得点王となり、また67年に入団したヤンマーディーゼル(セレッソ大阪の前身)では、ブラジル出身のネルソン吉村(日本名=吉村大志郎)と組んで数々の得点記録を打ち立てていった。

 ヤンマーで18シーズンにわたってプレーした釜本は、251試合に出場して202得点を記録している。JSLの通算得点記録2位の碓井博行(日立製作所/柏レイソルの前身)の記録が85得点なのだから、いかに釜本の記録が突出しているかがわかる。

 Jリーグでは現在、大久保嘉人(C大阪)が190ゴールを決めて通算最多得点を更新しつづけているが、大久保が次に目指すべきは「200の大台」ではなく、C大阪の前身であるヤンマーの大先輩、釜本の持つ日本のトップリーグにおける最多得点記録「202」であろう。もちろん、出場251試合で202ゴールを決めた釜本と、458試合で190ゴールの大久保では比べようもないのではあるが......。

 現在のように、日本代表がボールを握って攻撃する時間が長い時代に、もし釜本のようなストライカーがいてくれたら、ワールドカップでのラウンド16突破はもちろん、決勝進出すら夢でないはずなのに......。これは、不世出のストライカー釜本邦茂を知る世代の、オールドファン共通の正直な気持ちであろう。

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