日本サッカー界の名将たちを育て上げた男。その指導から考える真の「育成」 (3ページ目)

  • 木村元彦●取材・文・写真 text & photo by Kimura Yukihiko

木村 今西さんは自分でも言っていましたが、一時会社でサッカー部から離れたときに、マツダの巨大な社員寮の寮長をひとりで担うわけで、そこでの体験が最も大きかったそうです。九州や四国から、中高卒で出て来た独身男性が約7500人暮らしているわけですから、いろんな事件が毎日起こります。それに対応しながら、人を育てていく。

 それまでは、自衛隊OBの人に管理人をお願いして、規律中心でトップダウンだった寮に「寮兄制度」という自主管理制度を持ち込んで寮生の中から選ばれたリーダーが自分たちで管理していくようにしたそうです。東洋工業(当時、マツダの前身)は技能養成校という学校を持っていたのですが、ここは文部省ではなくて、労働省管轄でした。だから、他校との交流や文化祭がない。そこへ情操的な音楽教育を持ち込んだり、サッカー大会をやらせてコミュニケーションを取らせた。東洋工業の育成方針は社員をふるいにかけて優れた者を伸ばすというのではなく、誰一人として置き去りにしないというものであったそうです。

 そこで7500人と向き合ってきたわけですから、その経験値はすごいものだったと思います。「九州の田舎から出て来たことで方言が恥ずかしくて喋られんかった」という久保さんなどにもどうすれば才能を伸ばせるかを考えていたのでしょうね。

平尾 僕もあの寮長の経験はすごく大きかったように感じました。荒削りながらも、あふれんばかりのエネルギーを持つ若者と面と向かって向き合うわけじゃないですか。真っ直ぐな目で見つめる彼らのまなざしを、真正面から受け止めるのって簡単なことじゃない。

 僕の経験からすると、プロの世界でやっていくには自己管理ができなければなりません。からだのケアや食事管理、またグラウンドの中だけでなく外でも折り目正しく生活することが求められます。ほとんどのトップアスリートはそれが自然と身についています。

 でも、うちの大学に入学してくる学生は高校で全国大会に行くか行かないかのレベルしか経験していない。僕からすると、やはり甘いんです。だから、最初はその甘さばかりが目について苛立ち、厳しい言葉をかけていました。「そんなんじゃうまくならないよ」って。

 でも、ただ厳しい指導だけでは学生は変わらないし、僕の思いも伝わらない。それで、あるときから目線を下げて、彼女たちの思いや考えに合わせようと試みました。たとえすぐには変わらなくても、大学の4年間を通してゆっくり教えればいいかと、なるべく時間をかけるようにもしたんです。そうすると、だんだん学生たちの悩みがわかるようになった。どこにつまずいているのかが、なんとなくわかるようになったんです。

 ただ、今でも忘れられないんですけど、「目線を下げる」ことで不思議な感覚になりました。技術指導のときに、これまでに身についたスキルというか感覚が、失われていくように感じられた。「仮想的に未熟者になる」ためには、身体にめり込んだスキルや経験値をいったん脇に置かなければなりません。

 練習や授業のたびに目線を下げ、経験値やスキルを切り離すことで、たぶん自分を見失いそうになったんでしょう。「言語化の副作用」とでもいうんでしょうか、何から何まで言葉で説明しようとしすぎて行き詰まってしまったんです。

 最近になってようやく、自分を見失うような感覚に陥ることはなくなりました。目線を下げ、学生に合わせて対応したあといつもの自分に戻るというサイクルが、からだでわかってきたんです。たぶん今西さんも似たような感覚になったことはあったんじゃないかと。

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