サッカー日韓戦、伝説の3試合。36回観戦した大ベテラン記者が厳選! (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

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 後半は韓国が底力を見せて、51分、69分にゴールを奪って同点とする。すると、直後の70分に釜本邦茂が決めて日本が再びリードするが、72分には韓国の金基福(キム・キボク)が決めてまたも同点となる。

 激しい点の取り合いだ。そして、試合終了直前に金基福が約30メートルの距離からロングシュートを放った。GKの横山謙三が横っ飛びにセービングを試みるが、ボールに触れられない。そして、シュートは日本ゴールのクロスバーを叩き、金属音が場内に響き渡った。そして、白いクロスバーの中央には泥で汚れたボールの跡がくっきりと残った。

 こうして、日韓戦は3-3で引き分けとなり、最終戦でも韓国がフィリピン、日本が南ベトナム(当時)を破って両国が4勝1分で並んだのだが、初戦のフィリピン戦で15ゴールを奪って大勝していた日本が得失点差で上回り、オリンピック出場権を獲得した。

 翌年のメキシコ五輪で日本は銅メダルを獲得することになるのだが、もし、最後の金基福のシュートがほんの数センチ低かったら、日本はオリンピックに出場できなかったのだ。

1993年10月、アメリカW杯予選の日韓戦に臨んだ日本代表のメンバー photo by AFLO1993年10月、アメリカW杯予選の日韓戦に臨んだ日本代表のメンバー photo by AFLO◆1993年10月25日 アメリカW杯予選
日本 1(0-0、1-0)0 韓国
(得点)三浦知良(59分)
(日本代表メンバー)
松永成立、堀池巧、井原正巳、柱谷哲二、勝矢寿延、ラモス瑠偉、北澤豪、吉田光範、長谷川健太(65分福田正博)、中山雅史(84分武田修宏)、三浦知良

 日本は、その後もなかなか韓国に勝てなかった。

 1959年12月20日のローマ五輪予選の第2戦で勝利してから(1勝1敗、2試合合計で韓国が出場権獲得)、1974年9月28日の日韓定期戦まで一度も勝てなかったのだ。

 その後も定期戦や親善試合では勝利することがあったが、ワールドカップやオリンピックの予選では、日本は常に韓国の分厚い壁にはね返されつづけた。木村和司の、あの「伝説のFK」で知られる1985年のメキシコW杯最終予選は、ホーム&アウェーの2試合とも1点差ではあったが、内容的には2戦とも完敗だった。

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