2021.03.20

大久保嘉人が「全然、面白くなかった」南アW杯。それでも「問題もなかった」

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 しかし、堅牢な守備を崩せなかった。ドイツワールドカップのオーストラリア戦のように、パワーで押し切られることはなかったが、攻め切る余力も残っていなかった。90分間を終え、延長戦も30分戦い0-0。PK戦に持ち込まれ、あえなく敗れ去った。

「カメルーン戦で膝をぶつけて、半月板を痛めてからは気力だけが頼りで、パラグアイ戦、後半にGKと交錯した時、完璧に半月板が壊れて、もう足が動かんかった。プレー中はアドレナリンが出とるから、なんかやれる。どんなに痛かろうと勝ちたかったから」

 大久保は死闘をそう振り返る。

「(勝機は)後半30分過ぎ、日本はリズムが出てきてイケイケになっていた。(中村)憲剛さんが(後半36分に)入って、見違えるほどリズムが変わった。それでも得点できなかったのは......限界だったのかもしれん。でも、(当時は)日本がヨーロッパや南米の強豪を相手に自分たちが主導権を握って勝つ、というのは難しかった。ひたすら走る、俊敏性を生かす。そのふたつを突き詰めるしかなかった」

 日本サッカーは、現実路線でひとつの偉業をやり遂げた。前回ワールドカップの教訓を生かした形だろう。しかしさらに先に進むには、プラスアルファも必要だった。

 大会後、長谷部、本田、長友、岡崎、内田篤人、香川真司らは欧州のトップリーグで暴れまわって、続々と新しい扉を開いていった。希望に満ちたプレーで、日本サッカーは躍進。もはや、世界に通用する、を云々する時代ではなくなって、世界のトップを目指すような時代に入った。

「自分たちのサッカーでワールドカップ優勝」

 本田はそう言って気勢を上げた。勇壮な言葉だったが、過信も見え、それはやがて呪縛のようになっていった。
(つづく)

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