トルシエ流と名波浩の存在――史上最強の日本代表はこうして生まれた (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 五輪代表での活動も含め、トルシエとの付き合いが長かった明神は、「性格的には、みなさんが思うままの監督というか(苦笑)、正直、えっ?って思うこともありました」。だが、それらはみな、微笑ましい思い出でもある。

「最初のほうはストレスになったりしましたけど、合宿や遠征で一緒に生活する時間が長くなればなるほど、ああ、そんな感じね、ってわかってくる(笑)。大勝した試合の次の日の午前練習とかは、気を引き締めるためなのか、監督は怒鳴ったりすることが多いんですけど、それはもう選手もわかっていて、みんなで、『おい、今日は気をつけろよ』って。そういうのも、チーム内のいい雰囲気につながっていたと思います」

 そして、もうひとつ。このアジアカップでの優勝において見逃すことができないのは、名波という"影のリーダー"の存在である。

 山本は、そのリーダーシップについてこう語る。

「(年長者の中でも)特に名波は経験値が違いましたから。1997年にジュビロ磐田のJリーグ初優勝があって、日本代表では1998年ワールドカップの主力。実力があって、チームの中心であることは確かだけど、名波はプレーになったら、みんなを生かしてやろうっていう意識が強いので、周りの選手にすごく気を使うんです。だから、(中村)俊輔がストレスを溜めているなと思ったら、ポジションをちょっと変わったり。トルシエとの意見の相違みたいなところは、僕をうまく使って、僕からトルシエに言わせたり(苦笑)。そういうところもうまかったですよね」

 実際、一緒にプレーしていた明神は、「名波さんたちが中心になって、自分のことで精いっぱいの若い選手をチームにどう融合させていくかを考え、言ってしまえば、シドニー組が気持ちよくプレーできるようにしてくれたことが、チームをいい方向へ向かわせたんだと思います」と語る。

アジアカップ優勝とトルシエ監督との関係について語る名波浩氏アジアカップ優勝とトルシエ監督との関係について語る名波浩氏

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