2020.10.28

トルシエ流と名波浩の存在――
史上最強の日本代表はこうして生まれた

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 五輪代表での活動も含め、トルシエとの付き合いが長かった明神は、「性格的には、みなさんが思うままの監督というか(苦笑)、正直、えっ?って思うこともありました」。だが、それらはみな、微笑ましい思い出でもある。

「最初のほうはストレスになったりしましたけど、合宿や遠征で一緒に生活する時間が長くなればなるほど、ああ、そんな感じね、ってわかってくる(笑)。大勝した試合の次の日の午前練習とかは、気を引き締めるためなのか、監督は怒鳴ったりすることが多いんですけど、それはもう選手もわかっていて、みんなで、『おい、今日は気をつけろよ』って。そういうのも、チーム内のいい雰囲気につながっていたと思います」

 そして、もうひとつ。このアジアカップでの優勝において見逃すことができないのは、名波という"影のリーダー"の存在である。

 山本は、そのリーダーシップについてこう語る。

「(年長者の中でも)特に名波は経験値が違いましたから。1997年にジュビロ磐田のJリーグ初優勝があって、日本代表では1998年ワールドカップの主力。実力があって、チームの中心であることは確かだけど、名波はプレーになったら、みんなを生かしてやろうっていう意識が強いので、周りの選手にすごく気を使うんです。だから、(中村)俊輔がストレスを溜めているなと思ったら、ポジションをちょっと変わったり。トルシエとの意見の相違みたいなところは、僕をうまく使って、僕からトルシエに言わせたり(苦笑)。そういうところもうまかったですよね」

 実際、一緒にプレーしていた明神は、「名波さんたちが中心になって、自分のことで精いっぱいの若い選手をチームにどう融合させていくかを考え、言ってしまえば、シドニー組が気持ちよくプレーできるようにしてくれたことが、チームをいい方向へ向かわせたんだと思います」と語る。

アジアカップ優勝とトルシエ監督との関係について語る名波浩氏