日本代表選手の意識は2000年アジアカップ優勝後に大きく変わった (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Asada Masaki

 名波曰く、「セットプレーの練習でも、重良はあんなところにはいない。『勝手に入ってくんなよ』っていうポジションだった」が、望月は"そこ"にいた。山本もまた、「なぜか、望月が突っ込んできた。『おまえ、なんでそこにいるんだ?』って思った」と苦笑する位置に、である。

 誰もが首をひねる不思議なゴールではあったが、値千金だったことに違いはない。しかも、望月は先発メンバーを大幅に入れ替えたグループリーグ第3戦を除けば、この試合が今大会初先発。稲本の出場停止により、明神がボランチへ回ったことで巡ってきたチャンスを生かす、まさにラッキーボーイとなった。

 20年前を思い出し、名波の頬が緩む。

「俊輔はゴールとか、アシストとか、得点に絡みたいタイプなので、そういう意味では、あの決勝ゴールのアシストは俊輔を気分よくさせただろうし、点を取った重良も(清水商の1年後輩で)オレが高校時代からめっちゃ可愛がっていたヤツだから、自分が取るよりうれしかったしね(笑)。重良は結局、あれが国際Aマッチの最初で最後のゴールだから。なんかこう、テンションが上がる要素のあるゴールでした」

 しかしながら、ここから先は日本がただただ耐え忍ぶだけの、長く苦しい時間が続いた。

 1点をリードした日本はこれまでになく、つなぎのミスが多く、マイボールの時間を作れない。対照的にサウジはシンプルに前線へボールを入れ、ポイントを作り、アルジャバーら、スピードのある選手の突破力を生かしてきた。

 ボランチとして、サウジの攻撃をはね返し続けた明神が語る。

「決勝のサウジは、組織としてどうだっていうよりも、個々の力というか、ドリブルのうまさだったり、速さだったり、そういうものを全面的に出してきました。あとは、単純に戦うという部分でも、ボール際の激しさは初戦とは全然違いましたね」

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