日本代表で繰り返す左SB不在問題。長友佑都の後釜は誰がいいのか? (4ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 続くイビツァ・オシム監督時代の約1年2カ月は、駒野を軸に、三都主、阿部勇樹(ジェフ市原→浦和レッズ)、今野泰幸(FC東京)らが4バックもしくは3バックの左サイドを担当した。だが、オシムを継いで2008年1月から動き始めた第2次岡田武史監督の時代になると、再び駒野が左サイドバックに固定されるようになる。

 そして、2008年5月に長友が登場。次第にファーストチョイスは長友へと移り変わり、現在に至るというわけだ。

 こうして1993年に日本サッカーがプロ化してからの時代を振り返ると、都並、相馬、三都主、駒野、長友が、日本代表左サイドバックの系譜を継いだことになる。ただ、その27年のうちの12年は長友の時代が続いているわけで、その後継者探しは、都並のあとに相馬が台頭するまでにかかった以上の長い年月を要する可能性は十分にある。

 しかも森保ジャパンの場合、A代表は4バックを採用しながら、その下のカテゴリーの東京五輪世代代表は3バックが基本布陣という、新戦力の発掘には適さない環境がある。さらに、Jリーグでも3バックを採用するチームが増加傾向にあるため、問題はより複雑になっていると言えるだろう。

 果たして、森保ジャパンに適した新しい左サイドバックの台頭が早いのか、それともA代表の基本布陣を3バックに変更するほうが早いのか。いずれにせよ、日本代表の活動が再開されたあかつきには、再び左サイドバック問題が焦点となりそうだ。

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