遠藤航は南野拓実の辛辣な言葉に納得。リオ五輪では自身の限界を感じた (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 遠藤は、大会前に掲げていた「リオ経由→海外移籍」という目標を果たすどころか、むしろ世界との距離を痛感し、自分がプレーヤーとして中途半端な存在であることを自覚した。そこで芽生えたのは"焦り"だったという。

「リオ五輪で、ボランチの遠藤を見た人にとっては、すごく物足りなさを感じたと思うんです。だから、自分自身もこれからどう生きていくのか、すごく考えました。所属クラブに戻ると、ボランチでプレーできないもどかしさを抱えていましたし、このままだと『海外には行けず、世界との距離がどんどん離れていく』『それでは、日本代表にも入れない』――そんな危機感と焦りが芽生えました。

 ボランチの遠藤がいい選手だなと思ってもらうためには、(所属クラブで)普段からボランチでプレーし、しかも海外でやらないといけない。それが、選手としての評価を高め、代表でスタメンを取るためには必要なことだとわかったんです」

 リオ五輪の前から日本代表にも招集されていた遠藤は、代表のボランチ候補のひとりだったが、クラブではセンターバックやリベロでプレーしていた。それぞれで違うポジションでプレーすることは、相当なストレスとなっていたはずだ。

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 そうしたなか、遠藤は2018年ロシアW杯で日本代表メンバーに選ばれた。戦前の予想を覆して、チームは決勝トーナメント進出を果たす快進撃を見せた。ただし、遠藤の出番は最後までなく、ベンチから仲間たちの奮闘ぶりを見つめて終わった。チームは躍進したが、個人的には悔しさを噛み締める大会になった。

「ロシアW杯は"行っただけ"でしたね。正直(自分の)力が足りていなかった。リオ五輪の時も(大島)僚太が攻撃で、僕が守備と、(同じボランチにもかかわらず)明確に役割が分担されていた。今考えても、その時点で物足りないですよね。W杯後、ベルギーのシント・トロイデンに移籍して、そこで1シーズン、中盤のボランチでプレーして、ようやく代表で勝負できるかな、という感じでした。

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