2020.07.25

東京五輪のOA枠。西川周作が監督なら
「使います。ポジションは…」

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro


2009年10月8日、代表デビューを飾った西川周作(後列、一番左)。photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO 一方、西川は日本代表にコンスタントに招集されるようになる。そして、2006年に初招集されてから3年、2009年10月8日のアジアカップ予選の香港戦で、ついに代表デビューを果たした。すると、2010年南アフリカW杯に出場することが、西川の大きな目標になった。

 ただ、当時の日本代表GKには、楢崎正剛、川島永嗣らがいて、川口能活も控えていた。西川にとって、彼らは「ライバル」というより、まだ「学ぶべき存在」だった。

「ナラさん(楢崎)と(川口)能活さんは、自分が小さい頃から見ていた選手だったので、初めて代表に行った時は、レジェンドの人たちと『一緒に(練習が)できるんだ』って、それだけでうれしかったですし、ファンみたいな感じで見ていました(笑)。

 実際、練習をしていると、2人はすごかった。持ち味は全然違うけど、基本的にキャッチを含めて、基礎がしっかりしているんです。

 それに比べて、自分はその基礎がまずなっていない。代表で生き残っていくためには、こういう先輩たちと一緒に張り合って、勝っていかなければいけない。もう『がむしゃらにやるしかないな』って思いましたね」

 迎えた南アフリカW杯。日本代表のGKは当初、楢崎、川島、西川がメンバー入りすると言われていた。ところが、メンバー発表の場において、指揮官の岡田武史監督が西川の名前を呼ぶことはなかった。代わって、負傷明けの川口が"チームのまとめ役"として、W杯メンバーに招集された。