本田、香川、岡崎らがいても3連敗。西川周作が北京五輪での未熟さを語る (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

「最終予選のメンバーが、そのまま本大会のメンバーではない、というのは理解していました。五輪メンバーは18名。OA枠もあるので、本大会までのメンバー争いは、めっちゃシビアになると思っていました。GKも3枠ではなくて2枠なので、(予選を終えたあと)かなり危機感を抱きながら(所属)チームに戻りましたね」

 そうして、北京五輪を前にして、五輪代表の指揮官・反町康治監督は、最終的にOA枠を使用することなく、本大会のメンバー18名を選出した。

「ソリさん(反町監督)は、積極的に選手とコミュニケーションを取ってくれて、僕らを信頼してくれていました。ただ、そうは言っても、最後まで(OA枠の選手については)誰が入ってくるのかはわからない。

 とくにGKは、過去2大会続けてOA枠の選手が起用されていたので(2000年シドニー五輪=楢崎。2004年アテネ五輪=曽ヶ端準)、今回もGKは(OA枠の選手が)入ってくるかもしれないと思って、『ヤバいな』っていう気持ちはありました。ですから、最終的に『OA枠は使用しない』とソリさんが決めた時は、ホッとしましたね」

 北京五輪は、アメリカ、ナイジェリア、オランダと同組だった。

 五輪を経験した選手の多くが、「五輪の舞台は、普通のサッカーの世界大会とは違った雰囲気がある」と言う。西川も初戦のピッチに立った時、その違いを感じた。

「初戦のことは、よく覚えています。すごく蒸し暑くて、観客は地元・中国の人ばかりで、何でもないところで変な大歓声が上がったりして......。なんか、調子が狂うというか、スタジアムは異様なムードでしたね。当時は、まだ(自分も)国際経験が少なかったので、そういう雰囲気がプレーにも少し影響したかな、と思います」

 五輪特有のムードに飲み込まれたのか、あるいは、アメリカという相手を少し甘く見ていたのか、日本は0-1で初戦を落としてしまう。

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