本田、香川、岡崎らがいても3連敗。西川周作が北京五輪での未熟さを語る (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

「シドニー五輪は鮮明に覚えています。とくに(準々決勝のアメリカ戦で)GKのナラさん(楢崎)が血だらけになってゴールを守っていたのが、すごく印象的でした。あの時、(味方と接触して)顔を骨折していたと思うんですけど、それでも最後までゴールに立ち続けてプレーしていて、素直に『すごいな』と思っていましたね。

 まあでも、その頃は、五輪は見ているだけの世界。自分とは無縁の大会、という感じでした」

 西川が五輪出場を現実的に捉えるようになったのは、オランダで開催された2005年ワールドユース(現U-20W杯)での戦いを終え、内田篤人らひとつ下の世代が戦った2007年U-20W杯カナダ大会が終わってからだった。

「(ワールドユースは)僕はオランダの大会に出ていたんですが、やはり世界大会は、Jリーグでは味わえないような経験ができて、自分をすごく成長させてくれた。だから、ワールドユースを戦ったあとは、『次の(世界大会となる)五輪にも絶対に出るんだ』という気持ちになりました。

 そして、カナダのU-20W杯が終わって、北京五輪に向けてのチームが立ち上がってからは、『自分ら上の世代が中心になってやらないといけない』と思いました。勢いは(下の世代の)"調子乗り世代"のほうが、すごかったんですけどね(笑)」

 ハツラツとした戦いを披露して"調子乗り世代"と称されたU-20W杯「カナダ組」は、たしかに勢いはあった。しかし、北京五輪出場を目指すチームの軸になっていたのは、ワールドユース「オランダ組」を含めた上の世代だった。西川をはじめ、青山敏弘、本田圭佑、岡崎慎司、李忠成らが奮闘し、アジア最終予選を突破。4大会連続の五輪出場を決めた。

 ただ、西川がそこで安堵することはなかった。「ここからが本当の勝負になる」と覚悟したという。

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