大久保嘉人はアテネ五輪で道を拓いた。イタリア戦で見せたチャレンジ (3ページ目)

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

「(代表メンバーは)みんな、顔を知っているし、プレースタイルも何となくわかっていたんで、やりやすかった。とくに仲がよかったのは、松井(大輔)さんと(田中マルクス)闘莉王。

 高校時代は、松井さんが(学年が)ひとつ上の先輩なんで、最初は喋れなかった。鹿児島実高では、みんな丸刈りなのに、松井さんだけロン毛で。それでもう、ファンタジスタのようなプレーをしていたから、(遠目で見ながら)『すごいな』って思っていた。

 そうして、五輪代表で一緒になった時、オレが(同じ九州の名門)国見高出身ということで、松井さんが声をかけてきてくれて。なんか、松井さんのアホみたいなノリが面白くて、楽しくて。『こいつ、イケるな』って(笑)」

 この時に仲よくなった松井、闘莉王とは、6年後の2010年南アフリカW杯でも、日本代表メンバーとして、ともに活躍することになる。

 アテネ五輪代表チームは、ドイツで合宿を行なったあと、ギリシャに移動し、本番を迎えることになった。だが、このチームに対する、日本のメディアやファンの期待感は決して高くはなかった。

「オレら『谷間の世代』って言われていたからね」

 大久保は苦笑しながら、そう言った。

 彼らのひと世代上と言えば、1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会で準優勝という快挙を達成し、2000年シドニー五輪や2002年日韓共催W杯の代表メンバーにも、多くの選手が名を連ねた「黄金世代」である。まだ海外移籍が難しい時代に、すでに海外でプレーする選手もいて、若くして日本代表の中心となって活躍している選手が多かった。

 その世代と比較され、日本代表はもちろん、所属クラブでもなかなかレギュラーの座をつかめない大久保らの世代は「谷間の世代」と揶揄されていた。そのため、アテネ五輪でもあまり期待されていなかったのだ。

「伸二さんやタカさんらと比べられてもね。『そりゃ、そうだ』って感じだった。自信はあったけど、『"黄金世代"とは違うよ』って。

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