2020.07.22

大久保嘉人はアテネ五輪で道を拓いた。
イタリア戦で見せたチャレンジ

  • 佐藤俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai keijiro

 大久保の活躍があって、レバノン戦、UAE戦と2連勝。日本は最終予選を突破して、3大会連続の五輪出場を決めた。

 だが、選手たちにとっては、ここから本当の戦いが始まる。最終予選は、代表メンバー20名だったが、五輪本大会は18名。しかも、オーバーエイジ(OA)枠で3名選出されれば、生き残るのは15名。代表入りは、極めて狭き門となるからだ。

「五輪には出たいと思っていた。あの当時は、海外(のクラブ)に簡単に行ける時代ではなかったので、『五輪で活躍して海外に行く』『五輪で自分の名前を売る』――(五輪は)そういうチャンスの場だと考えていた。

 でも、山本さんは『OA枠を使う』って言っていたんですよ。その時、名前が挙がっていたのが、(小野)伸二さんとタカさん(高原直泰)。『これは、ヤバいな』と思った。

 タカさんはA代表のエース。そんな人がメンバー入りしたら、当然FWの枠が減るわけだし、絶対にひとりはレギュラーから外れるわけじゃないですか。(平山)相太は選ばれるだろうから、オレと(田中)達也とかが『危ないな~』『怖いな~』と思って、いやぁ~(OA枠の選手は)『もう来ないでよ』って思っていた(苦笑)」

 結局、OA枠でのメンバー入りが期待された高原は、肺動脈血栓塞栓症の再発もあって選出されず、OA枠からは小野とGK曽ヶ端準の2名が選ばれた。大久保も無事、メンバー入りを果たした。

 当時のチームは、OA枠の選手が入ることによって、チーム作りにおける難しさを感じることはなかったのだろうか。

「それは、なかったね。伸二さんは経験もあるし、あのプレースタイルなんで、周囲の選手のことがよく見えていたと思う。実際、初めての練習試合で、すごくいいパスが来たのを覚えている。最初から、中盤のキーマンになっていたと思うよ」

 小野がチームに合流する前から、チームの状態は非常によかったという。同世代で、中学校や高校の時から、下のカテゴリーの代表などで、ほとんどの選手が一緒にプレーしており、「はじめまして」という選手は皆無だった。