2020.06.25

初代表でいきなりドーハの三浦泰年。
「僕のせいでW杯に行けなかった」

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 藤巻剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

 三浦は、93年読売クラブから清水エスパルスに移籍するのだが、その時は誰にも何も言わずに移籍を決めていた。相談したら迷いが生じ、決断がブレて移籍できなくなると思い、あえて相談しなかったのだ。

 事後報告をしたところ、戸塚哲也や都並に「何言ってんだ。今までお前のことをこんだけ可愛がってきたのに、事後報告かよ」と言われた。だが、読売クラブの選手たちは言動は荒っぽいものの、その言葉には愛情があり、常に仲間思いだったのだ。

「カズのところに行き、みんなのところに行かなかったのは、逆に自分が慰められてしまう。もしかしたら弱い自分を見せてしまいそうで怖かったのかもしれないですね」

 三浦は、そう言って静かな笑みを浮かべた。

 ドーハから10年後、2003年に三浦はヴィッセル神戸で現役を引退した。通算258試合出場(JFL81試合含む)11得点、日本代表は93年のアジアアフリカ選手権とドーハのサウジアラビア戦、イラン戦の3試合の出場だった。

「86年に読売に入って17年で引退。短いですよ、カズはまだ現役なんで(苦笑)。カズよりも丈夫な体に産んでもらい、カズよりも技術をつけてくれた人がいたのに自分は早く引退した。あらためてカズのすごさがわかります」

 その後、三浦は指導者の道を歩むことになる。

 2011年にキラヴァンツ北九州の監督に就任。つづいて東京ヴェルディ、チェンマイFC、カターレ富山を指揮した。2017年には鹿児島ユナイテッドFCの監督を務め、18年にはクラブ初のJ2昇格を果たした。

 ドーハの経験は、監督になった三浦の指導に大きな影響を与えているという。

 最終予選の韓国戦に勝ったあと、三浦はカズと抱き合って喜んだ。最終予選は韓国に勝ってW杯に出場するというのが大きな目標だったからだ。しかし、監督目線で考えると、韓国戦はW杯予選を突破するうえでの1試合でしかない。その試合に一喜一憂している場合ではなかった。

 また、イラク戦は最後にボールキープを徹底できず、ラストプレーでW杯への出場権を失った。勝つことの難しさ、サッカーの恐さを身に染みて感じた。