2020.06.24

三浦泰年はドーハのイラク戦で思った。
マリーシアを知る自分を出せ

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 藤巻剛●撮影 photo by Fujimaki Goh

 累積警告で出場停止の高木琢也に代わって中山雅史、そして不調の福田に代わって長谷川が出場し、左SBには勝矢が入った。4-3-3のシステムと彼らの活躍が功を奏し、3-0で北朝鮮に勝った。そして、その勢いのまま韓国に1-0で勝利した。この2試合で救世主のような活躍を見せたのが、中山だった。

27年の月日を経て、ドーハの悲劇について語った三浦泰年「ゴンは2歳年下だけど、仲がよかった。バスではいつも隣に座って、『この曲いいぜ』ってウォークマンを一緒に聞いたりしていた。だから、ゴンの活躍はうれしかったですね。でも、最終予選が始まった時のゴンは、まだスーパーなゴンじゃなかったんですよ。イラン戦ではベンチで隣にいたけど、ちょっと緊張していて、出場するとき、『大丈夫だから』って声をかけたぐらいだった。

 でも、北朝鮮戦で難しいゴールを決め、韓国戦も点を決めたのはカズだけど、絡んだのはゴンだった。最終予選前は高木と福田がレギュラーの鉄板だったけど、短期決戦では新しい選手が出てこないと勝てないと思っていた。そこに健太とゴンが出てきて、いい仕事をした。勝ち方もよかったし、チームがグっと盛り上がった」

 三浦は、この時、W杯への道がハッキリと見えたという。

 1993年、10月31日、イラク戦が始まった。

 前半5分、カズの先制ゴールで試合が動いた。イラクは日本の先制パンチに目が覚めたか、すぐに攻撃のアクセルをベタ踏みし、圧力をかけてきた。

「かなり強いな」

 三浦はこれまでの対戦相手にはない攻撃の迫力を感じたという。

 後半19分に同点に追いつかれたが、後半24分に中山がゴールを挙げて、2-1とリードした。だが、イラクの攻撃の勢いは止まらない。ピッチ上のラモスからは「北澤!」という声が響いていた。イラクの猛攻を抑え込むには中盤に人数が足りないので、動き回れる北澤を入れてほしいとラモスが要求したのだ。三浦は、ラモスの声を聞いて、もしかしたら自分にも出場のチャンスがあるかもしれないと思っていた。

「中盤の人数が足りないのであれば、自分にもチャンスがある。自分を出してくれ、アメリカに行かせてやるよって思っていました」

 後半36分、オフトは3枚目のラストカードを切った。