井原正巳はファルカン監督の下で痛感「ゾーンディフェンスの難しさ」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

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 前線は、カズの合流で駒が揃い、エースを軸にした攻撃の練習に切り替わった。コンビを組んだのはカズをよく知る武田修宏で、攻撃的MFには岩本輝雄と前園真聖が入った。しかし、攻撃の練習はつづくが、依然として守備の練習はほぼなかった。

 オーストラリア戦では失点ゼロだったが、井原はアジア大会のグループリーグの初戦で当たるUAE、続くカタールを警戒し、守備の選手だけで話し合ったという。

「両サイドバックの攻撃参加が増えた分、攻撃は活性化されたけど、いざ守備になった時のリスク管理とか、カバーとか、なんの約束事もなかったんです。その取り決めをしないといけないので、結構話をしました。でも初戦までに、攻守両方のアベレージを上げていく作業は本当に難しくて、チームの完成度は50%ぐらい。僕らは優勝が目標だったけど、正直やってみないとわからないという状態でしたね」

 井原は覚悟を決めて、広島に向かった。

 94年10月3日、日本はアジア大会の初戦、UAEとの試合を迎えた。

 スタメンは壮行試合のメンバーだった山田隆裕に代わってカズがFWに入り、ベストメンバーでの布陣になった。

 アジアとはいえ、若手にとっては初めての国際大会である。多くの選手が緊張するなか、いきなり出鼻を挫かれた。前半2分でコーナーキックから失点したのである。日本は動揺し、自慢の両サイドバックは前半、一度も攻撃参加できずに終わった。後半も決め手を欠き、カズがPKを決め、なんとかドローに持ち込んだ。

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