2020.02.01

柱谷哲二が語るドーハの悲劇。
イラク戦で投入してほしかった選手の名は

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 サッカーの神様に見放された、あまりにも悲しい夜だった。

 それから……柱谷はパウロ・ロベルト・ファルカン監督の日本代表でもキャプテンを任され、加茂周監督になってからもしばらくキャプテンマークを巻いた。「闘将」と言われ、日本代表では72のキャップを刻んだが、98年に引退した。

 オフト時代のキャプテンは柱谷にとって、かけがえのない大事な時間だったという。

「代表のキャプテンになる前は、ラモスのことが言えないぐらい人のことなんて考えてこなかったし、自己中心的だったけど、代表のキャプテンになってから変わったね。自分のすべきことを整理して、ひとつずつこなしていった。そうしてダイナスティで優勝した時は本当にうれしかった。キャプテンはしんどい役割が多いけど、いちばんうれしいのは優勝した時最初にカップを持てるところ。キャプテンとしてチームを引っ張り、優勝したからこそ、自分がやってきたことが正解だったと思えるんでね」

 柱谷は、オフトの時のキャプテンは、自分なりに手応えを感じていた。だが、その後はキャプテンとしてうまくいかないと感じていたという。