勝負勘が必要なのは選手より森保監督。任命した田嶋会長にも責任あり (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 佐野美樹●写真 photo by Sano Miki

『言語技術が日本のサッカーを変える』(光文社新書)という著書がある田嶋会長だが、そのタイトルに従えば、「ああいうサッカー」という説明では、日本のサッカーは変わらない。むしろ悪くなっていく。森保サッカーはその産物と言うべきだろう。

 従来路線を踏襲したくてハリルホジッチを解任したのではなかったのか。西野サッカーは従来路線の範疇に十分収まるサッカーだった。その前のアギーレジャパンしかり。従来路線のド真ん中を行くサッカーをしていた。「従来路線」のスタートは、その前のザックジャパンになる。ブラジルW杯本番では結果を残せなかったが、アルベルト・ザッケローニ監督は、協会があるコンセプトに基づいて招聘した初めての監督だった。

 協会はこれまで、攻撃的サッカーという従来のコンセプトを変更したという説明をしたことはない。だが、それを田嶋会長は「ああいうサッカー」と呼んだ。危うさを覚えずにはいられなかったが、それは森保監督の就任で決定的なものになった。

 従来のコンセプト外のサッカーをする森保ジャパンのサッカーは、言語不明瞭が生んだ産物と言っていい。森保監督の言葉が不明瞭になるのも当然かもしれない。自らのサッカーについて語らないのは、そのあたりを曖昧にしておきたいからだ。守備的な3-4-2-1を敷きながら、攻撃的サッカーっぽいことをしている。この矛盾が日本のサッカーの病状を悪化させている主因である。

 監督交代を叫びたいところだが、その前にサッカー協会は、日本サッカーが目指すコンセプトをいま一度、明快な日本語で示すべきだと言いたくなる。「言語技術が日本サッカーを変える」。おっしゃるとおりだと思う。その筆者が森保兼任監督を誕生させた。田嶋会長には大きな任命責任がある。信頼回復のためには、明確なコンセプトを示し、それにふさわしい監督を招聘するしか道はない。

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