後輩の堂安律も驚いた。田中駿汰が「遠回りして」五輪代表で花開く (3ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki



「上がれないって言われて悔しかったですけど、そこは切り替えて、そんなに落ち込まずにやれました。僕が大学に入った時には、彼らはプロでやっていた。その嫉妬心ではないけど、うらやましさはあった。でも、いつかは絶対に同じピッチでやれるように、とは考えていた。それが続けて来られた理由かなと思います」

 高校時代には攻撃力を伸ばし、大学時代には守備力を身に着けた。

「中学時代は身長が低かったので、真ん中で(ボールを)散らす感じだったんですけど、高校時代に身長が伸び、前に出ていくダイナミックさを身に着けました。攻撃面で成長できました。

 大体大は対人を重視するチームで、自分に足りないものを身につけるために選びました。大学で守備力が付いて、後ろ(DF)も任せられるようになって、ボランチとしての幅が広がりましたね」

 こうしてボールをさばき、刈り取れるセントラルMFへと成長し、2019年6月から東京五輪代表に名を連ねるようになったのだ。

 新シーズンから「ミシャ」ことミハイロ・ペトロヴィッチ監督の率いる北海道コンサドーレ札幌に加入することが決まっている。鋭い縦パスを入れ、ボランチだけでなく3バックの一角として攻撃の起点になれる田中駿汰は、"ミシャ式"の新戦力として打って付けの存在だろう。

「ミシャさんの戦術を早く理解して開幕スタメンを狙っていきたい。コンサで出られなければ、オリンピックはないと思っているので、まずはしっかりコンサで試合に出ることを意識してやっていきたいですね」

 だが今は、もちろん、U−23アジア選手権を勝ち抜くことに集中している。

「サウジアラビア戦ではシャドーをうまく生かすことはできたけど、ウイングを生かしてもっとサイド攻撃がしたかった。そこは次への課題ですね。周りには特長を持った選手が多いので、彼らを生かしつつ、自分のよさを出してきたいと思っています」

 G大阪ユースに昇格できず、高校、大学で力をつけてたどり着いた年代別代表とプロの世界。「遠回りしたけれど、遠回りしてよかった」と言う現代的なセントラルMFは、自分の可能性を信じ、東京オリンピックメンバー入りの狭き門をこじ開けるつもりだ。

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