ドイツW杯、稲本潤一は選手として我慢すべき一線を越えてしまった (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

 それでも、稲本は不平不満を漏らすことなく、サブとしてチームを後方支援していた。世界大会を勝ち上がるために、サブが果たすべき役割の重要性を肌で感じることができた。その経験がありながら、ドイツW杯ではなぜ、稲本は「自分が」という気持ちを抑えることができなかったのだろうか。

「ワールドユースの時は、ケガをしていたという現実があったから、サブ組でもやれたと思うんです。他のサブのメンバーも(チームを)盛り上げてくれていたし、そういうなかで、一緒になって『チームを支えようや』という気持ちになれた。

 でも、ドイツW杯の時は、万全でプレーできる状態やったし、『主力として戦えるもんや』と思っていた。その自信もあった。それに、ワールドユースでは同年齢の選手たちばかりで、お互いの考えがよくわかっていたけど、A代表ではいろんな世代の選手がいて、みんな、それぞれで(違った)考え方がある。ワールドユースのようなノリで、なかなかチームはひとつにならへんかった」

 ジーコ監督はチームの変化に気づいていたが、積極的にメスを入れることはなかった。しかも、クロアチア戦の直前、これまで継続して採用してきた3バックから、いきなり4バックに変更した。

 ほぼぶっつけ本番となるシステム変更に、選手たちは戸惑いを隠せなかった。チームはギスギスした雰囲気のまま、試合のホイッスルを迎えようとしていた。

(つづく)

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