稲本潤一が語るドイツW杯。
初戦のオーストラリア戦で裏目に出たこと

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • photo by Kyodo News

 ただ、復帰した自分のパフォーマンスが落ちた、とはぜんぜん思わへんかった。(試合で)誰を使うのかは監督が決めることやけど、当時は若くて尖っていたんで、試合に出られへんことに、完全に納得はしていなかった。自分(の感情)を押し殺してやっていた」

 ドイツW杯に挑む日本代表チームが大会直前の合宿に入っても、稲本はモヤモヤした気持ちを抱えたままだった。そして、ドイツ戦を経て、本番前最後のテストマッチ、マルタ戦を迎えた。

 当初、この試合はサブ組中心で戦う予定だったが、試合直前になって、レギュラー組が出場することになった。突然試合に出ることになったレギュラー組にとっても、最後のアピールの場を失ったサブ組にとっても、モチベーションの維持が難しい試合になった。

 試合は1-0で勝利したものの、ドイツ戦とは異なり、日本のパフォーマンスは低調なものだった。稲本も、後半24分に福西と交代して出場したが、とくに見せ場もなく、これといったアピールもできぬまま終えた。

「マルタ戦は(自分は試合に)出たっていうだけ。(チームとしては)引いた相手を崩せなくて、うまくいかなかったけど、個人的には、内容が悪かったことはそれほど気にならなかった。ドイツ戦での結果があったので、『本番になれば、何とかなる』と思っていた」

 内容はともかく、マルタ戦はチームにとって、少なからず意味があるものになった。この試合で先発した2トップ、大黒将志と玉田圭司以外は、レギュラーが確定したのだ。

「本番前、最後の試合なんで『(メンバーは)これで決まりやな』と思った。自分の気持ちは複雑やけど、まずはチームなんで、そこからは途中から試合に出たら何ができるか、考えていた。とにかく『初戦に勝ってくれよ』って思っていたね。初戦が一番大事やし、勝ち続けて戦う試合が増えれば、(自分が)試合に出るチャンスも増えてくると思っていたんで」

 2002年日韓共催W杯では、稲本は大いに活躍し、「ワンダーボーイ」として世界にも名を知らしめた。だがその4年後、まさかベンチでW杯を迎えるとは思ってもいなかった。稲本の心の中では、チームのことを考える一方で、抑え切れない別の感情が膨らみ始めていた。

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