アテネ五輪代表メンバーから落選。その時、鈴木啓太は何を思ったか (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 実は、鈴木も南アフリカW杯出場を目標としていた。2006年ドイツW杯後、イビツァ・オシム監督が日本代表を率いて、鈴木も同代表チームに選出された。オシム監督が言う「水を運ぶ人」として、主力選手のひとりでもあった。

 だが、オシム監督が脳梗塞で倒れ、岡田武史監督がそのあとを受け継いだ。と同時に、鈴木自身も扁桃炎という病に見舞われた。それ以降、調子が戻らず、日本代表から離れていった。

「五輪も、W杯も出たかったですよ。2010年のW杯に出るというのは、高校1年生時に抱いた夢だったんです。それを目標にしてやってきたのに、出られなかった......。もっとも、W杯の場合、アテネ五輪の時のように(代表メンバーから)直前に外れるというのではなく、早い段階で(代表チームから)フェードアウトしていたんで、五輪ほどのショックはなかったですけどね」

 アテネ五輪、南アフリカW杯と、日の丸をつけて世界大会に出る夢は叶わなかった。それでも、鈴木が前を向いていけたのは、浦和レッズという帰る場所があったからだ。

「浦和レッズは、自分とって、いろんな意味で大きかったですね。サポーターに認めてもらう、サポーターが『こいつがいてよかった』と思われるような選手になろう――そう思って、努力し続けることができたので」

 鈴木は、2009年から浦和のキャプテンになった。それから3年間、キャプテンとしてチームをけん引していった。

五輪やW杯には出場できなかったものの、浦和レッズで大いに活躍した鈴木啓太。photo by AFLO五輪やW杯には出場できなかったものの、浦和レッズで大いに活躍した鈴木啓太。photo by AFLO その他、松井、闘莉王、阿部、大久保、駒野、今野、石川直宏、山瀬功治、那須大亮、徳永悠平、茂庭照幸、森崎和幸、森崎浩司......同世代の選手も、各クラブの中心となって奮闘を続け、前田遼一、佐藤寿人、そして大久保がJリーグの得点王に輝くなど、「谷間の世代」と言わせない活躍を見せた。

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