メディアにも隠し通した窮地。「谷間の世代」が乗り越えた壮絶な戦い (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 ロッカールームに戻ると、下痢で苦しんでいた選手たちは消耗し切っていた。トイレに駆け込む選手もいた。勝利の喜びを爆発させる元気も、余裕もまったくなかった。

「みんな、かなり疲れ切っていた。ただ、勝ってホッとした、という感じはあったかな。(UAEラウンドで)これだけの勝ち点(勝ち点7)を取れると思っていなかったからね。個人的には、UAEの強さは身に染みてわかった。帰国したあとには、すぐに日本ラウンドも始まるし、『まだまだ厳しい戦いが続くな』と思っていた」

 試合後、ミックスゾーンに出てきた鈴木は、待ち受けるメディアに対応した。「チームの動きが悪かったようだが?」という質問を投げられると、鈴木は少し沈黙し、返答に窮した。"集団下痢"のことは言えなかったのだ。

「(沈黙の際には)その質問をどう処理しようかって、考えていましたね。正直には言えないなって。下痢は、言ってはいけないラインだと僕は考えていたんです」

 その後、山本監督がUAE戦の前日に"集団下痢"に襲われたことを吐露している。

 日本に帰国したチームは、阿部勇樹、大久保嘉人らを新たに選出した。重症だった成岡翔と、体調が戻らない菊地直哉の代わりに、近藤直也と根本裕一も追加で招集された。

 日本ラウンドも、UAEラウンドと同様、中1日で3試合を戦うスケジュールで行なわれた。3試合とも同じメンバーで戦うことは難しく、選手をうまくやり繰りしながら戦うことが求められた。ただ、平山相太など、下痢の影響で体調が万全ではない選手がまだ何人もいて、鈴木曰く「(日本の)台所事情はてんやわんやだった」。

 日本ラウンドの初戦も、バーレーンと対戦した。UAEラウンドでは引き分けに終わった相手だが、ホームでは勝ち点3が求められた。日本はコンディションが戻らない選手を多数抱えながらも、新戦力の大久保や阿部を温存して試合に向かった。

 すると、またしても日本に不運が襲った。

 チームの精神的な支柱であり、攻守の中軸でもある田中マルクス闘莉王が、前半31分に肉離れのため、負傷交代を余儀なくされたのだ。

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