鈴木啓太が惨劇に呆然。アジア最終予選でアテネ五輪代表を襲った危機 (2ページ目)
チームを率いる山本昌邦監督は、最終予選を前にして、こう目標を掲げた。
「アネテ経由ドイツ行き」
アネテ五輪を経験して、ひとりでも多くの選手が2006年ドイツW杯の代表メンバー入りを果たす、ということである。そのためには、最終予選は必ず突破しなければならない。
鈴木は、その最終予選を戦うチームのキャプテンを任された。
UAEラウンドの初戦、日本はバーレーンと対戦し、0-0の引き分けに終わった。勝ち点1を獲得したものの、今後の試合に向けて、不安が残る内容だった。
「みんな、動きが硬いし、勝ち点3を取らないといけない相手から勝ち点1しか取れず、(試合後は)結構『ヤバいな』ってムードになった。正直、試合前からチームの空気がよかった、というわけではなかった。テンションが高く、(チームが)ひとつになるという感じでもなく、むしろ『UAEという強豪相手に(自分たちは)やれるのか』『本当に大丈夫なのか』という雰囲気だった。それは、自分たちに自信がなかったからだと思います」
どんな大会でも、初戦は難しい。チームが不安定な状態であれば、なおさらだ。グループ最大のライバルとなるUAE戦に向けて、チーム内には危機感があふれ始めた。
初戦のバーレーン戦は0-0の引き分けに終わった。photo by AFLO「『このままじゃあ、マズいな』って、みんな思っていたと思います」
選手から発せられた微妙な空気を察知した鈴木は、初戦を引き分けたあと、選手だけのミーティングを開いた。フリーディスカッションだったが、そのなかで、人一倍熱く、厳しい言葉を放っていたのが、田中マルクス闘莉王だった。
「ぐだぐだ言ったところで何も始まらない。もう、やるしかないよ」
シンプルな言葉だったが、鈴木は選手たちの胸に響いていることを感じた。
「(ミーティングでは)いろんな声が出たけど、結局、闘莉王が言ったとおり、『やるしかない』ってことに落ち着いた。僕は、それでよかったと思っています。実際に、もうやるしかなかったので。それを、お互いに最終確認できたことで、みんな、試合に向かっていくしかなくなった」
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