柴崎岳さんとプレーしてみたいけど...。
森島司は本音を抑え言葉を濁した

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • (株)サンエス秋田耕二●撮影 photo by Akita Koji, AFLO

森島 兄も高校サッカーでしたし、一番上の兄は四中工(四日市中央工高)に行っていたので。それに、昔から家族で高校選手権を観に行っていたんですよね。

 すごく覚えているのが、東京・西が丘で行なわれた青森山田と広島皆実の試合。青森山田には柴崎岳さん(デポルティボ・ラ・コルーニャ)がいて、「この人、うまいな」って思いました。のちのちに聞いたら、広島皆実にはテツくん(渡大生)がいたらしいんですけど、全然覚えてない(笑)。

 中学2年の春ごろかな、グランパスで面談があって、ユースに上がるか、それとも高校サッカーに行くのか......そこで、「四中工に行きたいと思っています」と言ったんです。

―― それで名古屋U-15を途中でやめて、地元のクラブチームに入ったんですね。

森島 そうですね。三重北勢FCというクラブに入りました。そうしたら、三重にプロサッカークラブを作るという話になって、ヴィアティン三重(現在JFLに所属)が誕生して、三重北勢FCがヴィアティンの下部組織になったんです。

「ヴィアティン」って、オランダ語で14番という意味です。ヨハン・クライフを意識していて、だから14番(クライフの背番号)がそのクラブのエース番号で、僕もつけさせてもらいました。14番はそれ以来、気に入って、四中工でも3年間、サンフレでも去年から付けさせてもらっています。

―― 四中工では1年からレギュラーで、高校選手権にも出ていましたね。

森島 でも、1年の頃は先輩についていくので必死でした。もうひとりのボランチは3年生の先輩だったんですけど、「モリシ、上がっていいよ」っていう感じで気を遣ってもらったおかげで、特徴を出すことができた。1年の頃は自分の好きなことばかりやっていたから、いいプレーができたんじゃないかって思います。

―― 一方で2年、3年はいい思い出があまりないのでは?

森島 たしかに(苦笑)。2年、3年の頃は、自分のこととチーム全体のこと、両方とも意識しないといけなくて、難しかったですね。今、思えば能力も低くて、あまりうまくいかなかった。2年の予選決勝では僕のパスミスから点を奪われて、そこから思考停止。あとは覚えてないです(苦笑)。3年も初戦敗退でしたからね。

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