指導者になった手島和希があらためて感じた「黄金世代」のすごさ (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 説田浩之●撮影 photo by Sestuda Hiroyuki

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「代表に入れるかどうかは、クラブでのプレーが大事だと思っていたので、それを見て、判断してもらうしかないと思っていました。そういうなかで、自分の目標としては、代表に入ることよりも、自らが『成長したい』という気持ちのほうが強かったですね」

 手島にとっては、DFとしての質を上げていくこと――それが目標であり、自らの成長のバロメーターとなっていた。

 2001年シーズンには42試合に出場し、チームのJ1昇格に貢献、その後は、2006年に一度、ガンバ大阪に期限付きで移籍するも、すぐに京都へ復帰。J1とJ2の舞台を行き来するチームにあって、2009年シーズンまで同クラブでプレーした。そして同シーズン後、現役を退くことを決めた。

「自分の中で区切りがついていたので、(引退を決断したときに)後悔はまったくなかったですね」

 手島は現役を退いた翌年の2010年から、京都のアカデミーセンターコーチに就任した。その後、U-15の監督などを経て、現在はU-18の監督を務めている。

 人前に出ることがあまり得意ではないように見えた手島が、指導者という道を選択したことに、少なからず興味を覚えた。選手を指導するということは、"モノを伝える"ということが何より大事だからだ。

「京都で長い間プレーさせてもらったので、京都で何かできたらいいなと思っていたところ、アカデミーコーチの話をいただいて。それが(指導者になる)きっかけになりました。

 指導者として、話をしないといけないことは話をしますけど、話をしなくてもいいことは、あえて話をすることはありません。必要なことは伝えますけど、必要以上に伝え過ぎることは選手たちにとっていいことではないと思っているので、そこら辺は今も試行錯誤しながらやっています」

 現役時代、手島が試合後の囲み取材などで、あまり言葉を発しないことは、よく知られていた。ただ、彼はそういう場を好まないだけで、話をしないわけではない。1対1で話を聞けば、自分の考えをきちんと整理して話をしてくれる。

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