U-22のエース上田綺世。ストライカーとしての本質をさらけ出した (5ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • 是枝右恭●撮影 photo by Koreeda Ukyo, AFLO

―― 「この20年、葛藤しながら」と言いましたが、ユース昇格を逃したりするなかで、プレースタイルにおける葛藤、悩みもあったのですか?

上田 もちろん、ありましたね。小学生の頃って、ゴールを量産する子はたくさんいるんですよ。その中で、上のレベルに行ける子はテクニックがあったり、スピードがずば抜けていたり、武器がはっきりしている。その点、僕は子どもの頃から、DFの背後を取るとか、ヘディングとか、ゴールに特化したスタイルだったので、目立ちにくかった。だから、セレクションもなかなか受からなくて。

―― パサーがいてこそ、成り立つプレースタイルでもある。

上田 そうですね。「あなたの武器はなんですか?」と言われた時、評価の難しいスタイルだった。ノルテでも、たしかに点は獲っていたんですけど、こぼれ球に詰めたりとか、「なんとなく、綺世はよく点を獲るよね」くらいの感じで。背も低かったし、ユースに上がれるほどの決定打はなかった。そこは悔しかったですね。

 ノルテにいた頃はよく、「80年代のFWだな」って指導者の方に言われていました。「点を獲るのに特化するのはいいけど、今の時代、守備もして、ポストプレーもして、背後の取り方もSBの裏を狙ったりして、いろんなことができるFWのほうが上に行けるよ」と。

―― そう言われた上田少年は、素直に受け入れたんですか?

上田 やっぱり、「これじゃ生きていけないのかな」って悩んだし、その後、複数のポジションで起用されるようになったんです。サイドハーフをやったり、ボランチをやったり。でも、ゴールが遠くて、シンプルに面白くなかった。ロングシュートを狙ってもピンと来ないし、クロスからアシストしても、逆に「俺が中にいるから、誰か上げてくれよ」と思ったし。アシストをするくらいなら、自分が中でシュートを外したほうがいい、とまで思っていて。「FWをやりたいな」と思いながら、中3、高1は過ごしていましたね。

―― 再びFWに専念するのは、高2から?

上田 高1の途中からですね。チームで明らかに点を獲っていたので、少しずつ、少しずつ、自分のスタイルが認められた感じでした。このスタイルでやるなら、結果を残してナンボだなっていうのはわかっていたし、年齢が上がれば上がるほど、ゴールを獲る選手の価値が上がっていく、というのも感じていたので、とにかく点を獲り続けることに執着していました。

(後編に続く)


【profile】
上田綺世(うえだ・あやせ)
1998年8月28日生まれ、茨城県水戸市出身。中学時代は鹿島アントラーズノルテに在籍。その後、鹿島学園高校から法政大学へと進学する。2017年にU-20日本代表に選ばれ、2019年5月には日本代表にも選出。同年7月、内定していた鹿島アントラーズに前倒しで加入した。ポジション=FW。182cm、76kg。

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