2-0勝利とその中身をどう捉えるか。日本は試合の整え力を欠いている (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyma Shigeki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 代表監督にとって、選手はクラブチームからの大切な預かり物だ。出場時間をみんなでシェアするような、リスクを分散する戦い方が求められている。パラグアイ戦、ミャンマー戦で見せた森保監督の采配は、今日の代表監督にとって、いいものとは言えなかった。いまこの有様では先が思いやられる。続くモンゴル戦もこの調子で戦うつもりなのだろうか。選手は消耗品ではない。欧州だったら、所属クラブから、間違いなく突き上げを食っているところだろう。

 そして、それでも5-0、6-0を目指したいのであれば、もっと論理的な攻撃をするべきである。選手個人の即興的なプレーに頼る、出たとこ勝負に見えて仕方がなかった。

 堂安、中島の両ウイングと酒井宏樹(マルセイユ)、長友佑都(ガラタサライ)の両サイドバックとは、まったくコンビネーションが取れていなかった。サイド攻撃は両SBの単独プレーになりがちで、4-2-3-1で戦う意義が伝わってこなかった。

 それはパラグアイ戦でも明らかだった。鮮明になった点だ。森保監督はいったいどんな攻撃がしたいのか。パラグアイ戦の試合前、4バックと3バック、どちらの布陣を採用するのかと問われた森保監督は「4バック(4-2-3-1)を採用するにしても、3バック(3-4-2-1)を採用するにしても、サッカーの原理原則は同じだ」と述べている。

 しかし本来、それは水と油。同じになり得えない関係だ。同じになり得ないものを、同じにしようとしている。その弊害が攻撃面に露呈していると言うべきだろう。

 堂安、中島がピッチを去り、伊東、久保が入った方が、むしろサッカーはスッキリと、理路整然として見えた。4-2-3-1らしく見えた。攻撃をいかに整えるか。森保監督にその手腕はどれほどあるか。今後の注目点である。

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