2019.06.25

黄金世代・遠藤保仁が忘れられない
「いちばんキツかった」悔しい経験

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 牛島 寿人●撮影 photo by Ushijima Hisato

 シドニー五輪代表には、最終的に楢崎正剛、三浦淳宏、森岡隆三がOA枠として選出され、遠藤はバックアップメンバーとしてチームに帯同することになった。バックアップメンバーとは、ワールドユースではGK曽ヶ端準がそうだったが、18名のメンバーにケガや病気などで出場が困難な選手が出た場合に、入れ替えることができる選手のことだ。ただ、五輪の正式登録メンバーではないのでIDがなく、メンバーと同じところで練習ができず、試合もスタンドからの観戦になる。選手であって、選手ではないのだ。

「シドニー五輪の悔しさは忘れられないね。帯同して、一緒に練習もできんし、試合もスタンドから。『なぜ行く必要があるの? 何のために居るの?』って感じやった。チームに戻って早く練習したいって思っていたし。シドニーの経験は、俺の中ではその後、ドイツW杯で出られなかったことよりも何よりもいちばんキツかった」

 遠藤はシドニー五輪への出場はかなわず、2002年日韓W杯もメンバーから漏れた。

 その後、ジーコが監督になってからは、度々代表に招集された。海外組が不在のときは試合に出られたが、彼らが戻ってくるとベンチになった。それでも遠藤はドイツW杯で初めてワールドカップメンバーに選ばれた。

「初めてだったのもあって、ワールドカップという感じがして、国歌を聞いたときはちょっと感動したね。試合には出られなかったけど、出られなくても当たり前の大会。他チームにも出ていない選手がたくさんいるわけで、そのくらいレベルが高く、デカい大会やと感じた。そこはワールドユースと全然違うし、準優勝したときは大会を楽しめたけど、ドイツのときはW杯で勝つ難しさや世界との差をあらためて感じさせられた」

 ドイツW杯で、日本代表は1勝もできずにグループリーグ敗退に終わった。

 ナイジェリアワールドユース組が8名も入り、中田英寿、中村俊輔らを擁したチームは「史上最強」と言われたが、その力を十分に発揮できずに終わった。

「同世代のチームとは違って、A代表はいろんな年齢でいろんなサッカー観を持っている選手がいるんで、まとまる難しさを感じた。海外でプレーする選手のメンタリティーと、国内の選手のメンタリティーも違うんで、そこを合わせるのが監督の仕事かなと思うけど、大会中もうまくいかなかったし、大会前の最後にやったマルタ戦でも良いゲームができなかった。それに、大会初戦のオーストラリア戦に負けたのが大きかった。俺らにはそこから立ち直る術がなかった。今、考えると単に実力がなかったのもあると思う」