2019.06.18

中田浩二が伝えたい黄金世代の一体感。
「伸二を信じてついていった」

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

 そう言って中田は、苦笑した。

 準優勝の表彰の時は中田は笑顔を見せ、仲間と史上初の快挙について健闘をたたえ合っていた。だが、日本に帰国すると負けた悔しさが募り、あの時こうしておけばよかったと考えることが増えた。自分の今後についても意識が変わったという。

「この大会を経験するまでは正直、日本代表とか、海外移籍とか考えていなかったです。98年にフランスW杯に日本が出たばかりだったし、海外でプレーしていたのはヒデ(中田英寿)さんしかいなかった。日本人が海外移籍とか考える時代じゃなかったんです。でも、大会を通じてできないことが多かったし、差も感じたけど、こういうところ(世界)でやれると楽しいなって思ったんです。もっと上を目指すキッカケになったので、自分にとってはこの大会は大きな転機になりました」

 中田は、その後、00年シドニー五輪で主力選手としてプレーし、02年日韓W杯でも"フラット3"を担う一人として全試合に出場した。99年のワールドユースから一貫して同じポジションで起用され続け、この3つの大会すべてにレギュラーとしてプレーした選手は中田しかいない。そこには、トルシエ監督の中田に対する確固たる信頼を垣間見ることができる。

「トルシエの信頼は感じていました。僕もトルシエの期待に応えようとずっとやってきたし、それを評価してくれたと思います。僕はワールドユースで"フラット3"について学んでいたので、他の選手よりもアドバンテージがあったと思うし、チームに戦術を落とし込んでいく役割も担っているのかなって勝手に思っていました。トルシエ監督は、メディア上ではメチャクチャな人だったけど、実際は選手の表情を見てコンディションを探ったりと繊細な部分があったし、選手のマネジメントがうまかった。あの時代、トルシエは僕らに合っていた監督だったと思います」

 トルシエ監督によって、中田はその後のサッカー人生の転機になる経験をさせてもらった。そして、ワールドユースのスペイン戦後から6年後、中田はそのトルシエ監督が指揮するフランスリーグのマルセイユに移籍することになる。

(つづく)

中田浩二
なかた・こうじ/1979年7月9日生まれ、滋賀県出身。2014年シーズン限りで現役を引退し、2015年より鹿島アントラーズのクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)に就任。帝京高→鹿島アントラーズ→マルセイユ(フランス)→バーゼル(スイス)→鹿島アントラーズ

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