2019.06.04
黄金世代・永井雄一郎が感じた
1999年ワールドユース準優勝の日本の武器

- 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
- 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro
前回大会で越えられなかった壁を越え、決勝までたどり着くことができた喜びもあったが、個人的には課題ばかりが見えた厳しい大会だった。
「準優勝でうれしかったけど、このメンバーでもうサッカーができないのはすごく残念で寂しかったですね。個人的にはやり切った感がないし、自分の現状を痛いほど思い知らされた大会になった。試合の中で自分の能力をしっかりと発揮できない。唯一、良かったのは準決勝で点が取れたこと。あれがあるから準優勝だって喜べるけど、あれがなかったら地獄でしたよ」
永井は、苦笑してそう言った。1999年ワールドユースで準優勝という結果を残した日本。photo by Yanagawa Go
チームが解散し、永井はナイジェリアからひとりでドイツに戻った。トップチームの試合の時、永井はドイツ代表でナイジェリアに行っていた選手と2人でピッチに立ち、ワールドユースの結果が発表された。日本が準優勝した、と発表されるとサポーターから大きな歓声が上がった。
「ナイジェリアに行く時は『がんばってきなよ』みたいこともないし、ピッチに呼ばれた時もサポーターはワールドユースに行っていること自体知らなかったんじゃないか、っていう雰囲気だった。スタジアムで『ドイツはグループリーグ敗退、永井のいる日本は準優勝だ』って発表されると、大きな拍手をもらった。でも、普通にすごいとかじゃなくて、『おー、準優勝なんだ。日本なのに』って感じで、意外そうな雰囲気だった。当時のドイツはまだ日本人を見下しているところがあったと思うし、俺がそれを見返すパフォーマンスをできなかったから、そう見られていたんだと思う。そんな俺がいる日本が準優勝したので、きっとみんな意外だったんしょうね」
日本チームは凱旋帰国し、成田空港には多くのファンが出迎えた。記者会見が開かれ、選手はテレビに出演し、多くのメディアに取り上げられた。このチームがベースになれば、次のシドニー五輪はメダルも可能ではないか。そんな声が大きくなるなか、ユース組の選手たちはシドニー五輪に向けてもう動き出していた。
(つづく)
永井雄一郎
ながい・ゆういちろう/1979年2月14日生まれ。東京都出身。FIFTY CLUB(神奈川県社会人1部)所属のFW。三菱養和SC→浦和レッズ→カールスルーエ(ドイツ)→浦和→清水エスパルス→横浜FC→アルテリーヴォ和歌山(関西1部)→ザスパクサツ群馬