播戸竜二は言う。20年前の日本代表には「トルシエ監督が合っていた」

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

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世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第7回:播戸竜二(2)

 1999年ワールドユース(現U-20W杯)・ナイジェリア大会で、日本はついにベスト8の壁を突破し、快進撃を続けた。

 播戸竜二は、そんなチームの躍進の理由として、小野伸二の存在の大きさを挙げた。一方で、その小野はチームが勝ち進むにあたって「大きな存在だった」と絶賛したのが、播戸を中心とした"控え組"の存在だった。

 播戸は、"控え組"の中でも大きな役割を果たしていた。だが、選手であれば、普通は試合に出て活躍したいと思うはずだ。"控え"という立場に甘んじることは、苦しくなかったのだろうか。

 少し緊張感を滲ませた表情で、播戸はこう語った。

「サブであることに『苦しい』とかはないよ。当時、プロ2年目だったけど、(他のメンバーは)みんな、1年目から試合に出ていた。(それに比べて)俺なんて、13試合出場で2点しか取っていない。

 アジアユース(ワールドユース予選)で試合に出ていた時も、(このチームで)『俺がレギュラーや』と思ったことはなかった。そんな選手がレギュラーっていうのは、おこがましいと思っていたからね」

控え組だったが、試合に出場すれば、懸命にプレーした播戸竜二。photo by Yanagawa Go控え組だったが、試合に出場すれば、懸命にプレーした播戸竜二。photo by Yanagawa Go 播戸をはじめ、控え組はチームを懸命にサポートした。関西人らしく"笑い"のセンスにあふれた播戸は、絶妙なタイミングで"笑い"を入れて、常にチームを和ませていた。また、播戸らはそれだけにとどまらず、チームにとって非常に重要な"控え組"としての役割もまっとうしていた。

「レギュラーの選手たちはいい感じで戦っていたけど、それでも『自分らはレギュラーなんや。安泰やな』って思わせないように、(控え組の)俺らも日々の練習をしっかりこなして(自らの存在を)アピールし、(フィリップ・)トルシエ監督に『こいつを使ってみようかな』と思わせるようなプレーをしていかなあかんと思っていた。

 普段はワイワイやっていても、そういう緊張感って大事やからね。それに、レギュラー選手がずっと試合に出て、いいプレーを続けていくことは決して簡単なことじゃない。いつかチャンスが来ると思っていたし、トルシエ監督は使ってくれると思っていたので、その時のために準備を怠らず、そこでいかに自分の仕事ができるか、ということを常に考えていた」

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