2019.04.09

なぜ黄金世代のサッカーは
「一度味わうと、ほんまにヤバイ」のか?

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki

 一方で、高原や稲本、中田浩二らワールドユースで一緒に戦った面々は、2000年シドニー五輪、2002年日韓共催W杯の代表メンバーにも入って活躍していた。

 その姿を、辻本は複雑な心境で眺めていたという。

「同期の(小野)伸二とか、イナ(稲本)がワールドカップの舞台で活躍していることは誇りに感じていたし、応援もしていました。自分はシドニー五輪もあかんかったし、ワールドカップにも出られへんかったんで、一旦、日の丸(を背負って戦うこと)を自分の頭の中から振り払っていました。

 でも、一度代表を経験してしまうと、『あの舞台で(戦いたい)……』と思ってしまう。みんなは活躍しているけど、自分はそこにはおられへん……。なんか、複雑な気持ちやったですね」

 辻本はその後、負傷などもあって、京都では満足のいく結果を残すことができなかった。日本代表はますます遠い存在になり、小野や稲本らの活躍を眩しく感じていた。

 なぜ、ここまで同期の選手たちとの差が開いてしまったのだろうか。

「”(自分が)甘かった”ということやと思います。ナイジェリアで準優勝して満足したわけじゃないんです。でも、鼻が伸びてしまったというか、『(自分は)できるぞ』と勘違いしてしまった。それが、代表に入れず、長く(現役で)サッカーをできなかった理由やと思います。今思うと、技術のない自分がナイジェリアでプレーできたのは、本当に夢みたいですもん」

 辻本はそう言って苦笑した。

 2006年ドイツW杯が終わった翌年、1年間プレーした徳島ヴォルティス(J2)からJFLの佐川印刷に移籍。そこで、2年間プレーして現役引退を決めた。2009年、FC大阪(大阪府社会人1部)に誘われ、プレーヤーとテクニカルディレクターを兼ねて1シーズンのみ現役に復帰したが、1試合出場しただけで終わった。