2019.03.09

小野伸二にとって「歴代代表監督の中で
トップ」はトルシエだった

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 フィジカルが強く、若いながらも老練な戦術眼を持つウルグアイは、日本が採用する”フラット3”に揺さぶりをかけるなど、試合巧者ぶりを随所に発揮してゲームをコントロール。高原直泰のゴールで日本が先制するも、すぐに取り返して振り出しに戻した。

 その1-1の拮抗した状態を破ったのは、FW永井雄一郎だった。スタメン起用になかなか結果で応えられず、悩みの淵にいたが、初めてのゴールはまさに値千金の一発だった。

 後半、日本はウルグアイの猛攻にさらされたが、3バックを4バックに、1ボランチを2ボランチにして対抗。そうした状況のなか、再度3バックに戻すなど多少の混乱は見られたが、そのままウルグアイの攻撃に耐えて、2-1で逃げ切った。

 だが、日本は大きな代償を負った。小野がイエローカードをもらって、累積警告による出場停止で決勝戦には出られなくなってしまったのだ。

「決勝に出場できなかったのは、自分の責任です。ただ、自分がいなくても、それほど心配はしていなかったですね。自分たちの目標は『世界一になる』ということ。それを実現させるために、みんながひとつになっていたし、楽しみながらサッカーをやっていましたから。

 楽しいときって、自分が持っているものをたくさん出せて、いいサッカーができているんですよ。それはイコール、チームもいい方向に向かっているということ。誰かのためじゃなくて、自分たちが楽しんで、自分たちのためにやることが、結果的に国民を驚かすことにつながる。そういう意味で”楽しむ”ということは、すごく大事だったんです」

 小野は20年前も今も変わらず、「サッカーを楽しむ」と言う。

 もちろんそれは、幼少の頃からそういう気持ちでサッカーを続けてきたこともあるが、このワールドユースで”楽しんで結果を出すことができた”という経験も大きかった。

 個々が楽しくサッカーができなければ、いろいろなことが悪循環になり、チームもうまく機能しなくなる。そのことを小野は、ワールドユースのあとに何度か経験していくことになる。

 そしてスペインとの決勝戦、小野が見たものは、自分たち以上にサッカーを楽しむスペインの姿だった。

(つづく)

小野伸二
おの・しんじ/1979年9月27日生まれ。静岡県出身。北海道コンサドーレ札幌所属のMF。日本サッカー界屈指の「天才」プレーヤー。1995年U-17世界選手権、1999年ワールドユース、2004年アテネ五輪に出場。W杯出場は3回(1998年、2002年、2006年)。清水市商高→浦和レッズ→フェイエノールト(オランダ)→浦和→ボーフム(ドイツ)→清水エスパルス→ウエスタン・シドニー・ワンダラーズ(オーストラリア)

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