阪口夢穂はなでしこの心臓部。ケガから復帰→W杯まで試合勘を戻せるか (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

 2009年にも阪口は左膝の前十字靭帯を損傷し、シーズンを棒に振っている。阪口は2008年の北京オリンピックを前に、佐々木則夫監督によって澤穂希とともにダブルボランチにコンバートされた。天才2人が必死に"ボランチ"というポジションを模索した結果、現在のなでしこジャパンのスタイルが築かれたと言っても過言ではない。初めての大舞台で当時のオリンピック最高位となる4位に入り、ここからさらに自身を高めていこうとアメリカ(FCインディアナ)へ移籍した矢先の受傷だった。

「ケガをする前の自分のプレーと比べられることがイヤ」――当時こう語った阪口には早くピッチに戻りたい、戻らなければという焦りしかなかった。しかし今回は、大事な時期での離脱だったものの、かなり心境は異なるようだ。

「今回は強がりでも何でもなく、焦りは全くなかった。むしろ有意義に過ごしていました」

 そう過ごせた理由のひとつには、高倉監督就任直後に同じくケガで長期離脱していた有吉佐織(日テレ・ベレーザ)が代表に復帰し、ほぼ1年をかけてサッカー勘を取り戻しながら、初めてのボランチにも挑戦し、アジアのタイトルを奪取する姿があった。

 そして、所属するベレーザが大きく成長していく姿も、もうひとつの理由だ。昨シーズンのベレーザは永田雅人監督のもとで、大きくスタイルを変えようと臨んでいた。しかし、阪口は1ボランチというシステムに手応えを掴む間もなく離脱。変わって三浦成美が抜擢され、懸命に食らいつきながらその感覚を掴んでいくと、シーズン終盤にはベレーザ全体に流れが生まれていた。

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