2004年アジア杯準決勝、奇跡の逆転勝利をもたらした宮本恒靖の独断 (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 あとは、決勝を残すのみである。

「(相手は)中国しかないと思った」

 バーレーン戦の試合前には日の丸が路上で焼かれ、試合後には日本代表のバスに向けて、飲料水の缶やペットボトル、さらにはパイプ椅子などが投げつけられた。スタジアムに応援にかけつけた日本のサポーターも、中国人民軍に守られてはいたが、いろんな物を投げられたりして、危険な目にあっていたという。

「選手たちも(サポーターが危険にさらされたとか)そういう話を聞いていたんでね、そんなことをされて『絶対に負けられない』『中国、(決勝に)出てこい』って、みんながそう思っていました」

 日本代表の面々は、日本の試合よりも3時間遅れでキックオフした中国vsイランの試合を宿泊先のホテルのテレビで見ていた。PK戦に及ぶ激戦となったが、宮本ら選手全員の望みどおり、中国が勝ち上がってきた。もっとも戦いたい相手との対戦が決まり、チームのムードはさらに増した。

 そして決勝前夜、宮本ら選手たちは、こう闘志をたぎらせていたのである。

「(中国人のファンで埋め尽くされた)満員のスタジアムを、静まり返らせてやろう」

(つづく)

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