杉山氏が嘆く森保Jの低ボール支配率。6年前のU-17代表とは対照的だ (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki 佐野美樹●写真 photo by Sano Miki

 スペインに0-1という結果を受け、当時、その言葉をそのままアナウンスしてしまったメディアの何と多かったことか。10人のフィールドプレーヤーのうち半分が自発的にゴール前にへばりつけば、攻撃はできないに決まっている。知人のスペイン人記者は、こちらに不思議そうに語ったものだ。「日本代表は何しにスペインまでわざわざやってきたのか。お金のムダではないのか」と。

 シャルジャのスタンドでサウジ戦を眺めながら、まず脳裏をよぎったのは、スペインのコルドバで行なわれたその一戦だった。守備と攻撃を、まったくの別物として捉えることに、まだ抵抗がなかった時代の話だが、いまこの時代に、代表監督が「守って勝った」と平気で語ってしまう国に、明るい未来が待ち受けているとは思えない。

 今回の相手はスペインではない。サウジアラビアである。「アグレッシブにいきたかったのに、できなかった」と言うのなら、なぜ、監督はゲーム中に指示を出さなかったのか。

 森保監督は試合中、ずっとピッチの脇に立って声を投げかけていた。いったい選手とどんなコミュニケーションを図っていたのか。最悪、ハーフタイムに立て直しはできたはずだ。しかし、時間が経過しても、症状は改善されなかった。改善する術がなかった。これが真実だろう。

 サッカーの普及と発展にまるで貢献しない非生産的な試合。もし、こうした見るに耐えない試合を続ければ、サッカー人気の後退は必至だ。まさに、人気にあぐらをかくようなひどい試合を披露することになった森保監督の責任は重い。

 日本のサッカーは長年に渡り、サウジ的な方向を目指していたはずだ。23.7か76.3かといえば、後者になる。監督によって程度の違いはあるが、基本的には、ボールを保持してパスを展開するサッカー、あるいは、プレッシングから高い位置でボールを奪おうとするサッカーを目指してきたはずだ。ハリルホジッチを解任した理由も、従来の概念から外れたサッカーをしたからだ。

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