前園真聖は確信。西野さんはアトランタ五輪の悔しさを忘れてなかった (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

「実際にマッチアップしてみて、初めて"世界"のすごさがわかったし、うまくなるためには彼らが日常的にいるなかで練習して、試合をしないといけないと思った。世界の強豪と戦うことで、プレーだけじゃなく、メンタルも磨かれたからね。

 世界に出ることが日本人には必要だ、ということ。それを、教えてくれた大会だった。だから、帰国してすぐ『海外に行きたい』って思った」

 ところが、ここから前園の"輝き"に陰りが見え始める。

 フランスW杯のアジア1次予選前に日本代表に招集され、アジア杯やタイのキングス杯に臨んだが、他の選手と今ひとつかみ合わなかった。加茂周監督は、それでも前園をメンバーから外すことなく、オマーンで行なわれた1次予選にはチームに帯同させた。ただ、前園に出場のチャンスはなく、これ以降、日本代表に招集されることはなかった。

 輝きを放っていたアトランタ五輪のあとも、前園にはサッカー選手としての"ピーク"を迎えられるチャンスはあった。しかしなぜ、その"ピーク"を築けなかったのだろうか。

「それは、自分の精神的な弱さ。自分への批判とか、プレッシャーとか、それらをはねのけるだけの強いメンタルを持てなかった。考え方もネガティブになることが結構あったし、いいプレーをしても続かないとか、精神的に自分をコントロールできなかった。

 あと、(チームの)監督や環境によっても、プレーが変わってしまう。それも、結局メンタルでしょ。(五輪後に飛躍した)ヒデは、調子の波がないし、そういうのに左右されないけど、俺は(メンタルが)強そうに見て、意外と繊細で(周囲の声などいろいろと)気にするタイプだったんです」

 アトランタ五輪の最終予選以降、尖って口を閉ざすようになったのは、前園のメンタルの弱さも影響していた。城や中田のように「人の言うことをまったく気にしない」タイプであれば、受け流すことができていたであろういろいろなことを、前園は受け止めてしまった。

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