日本代表から離脱する時、青山敏弘の心に刺さった岡崎慎司の言葉 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●取材・文 text by Iio Atsushi
  • 山添敏央●撮影 photo by Yamazoe Toshio

―― 春からすでに、ですか。

青山 ボールを蹴るのも痛かった。だから余計、シンプルにプレーしていたんです。蹴る球種も限られていたし、ボールを思い切り蹴れなかったから。今年はずっとひざとの戦いだったけど、ボールを蹴れない分、動きでチームに貢献しようと思っていて、それがうまくいっていた部分もあった。そうしたら、(5月12日のベガルタ)仙台戦の前くらいに突然、ひざがダメになって。ほんと、急だったので......。

―― ひざの状態というのは、城福浩監督や池田誠剛コーチには......。

青山 もちろん、ずっと伝えていました。一気に悪くなったときも報告しています。それでも、動きでカバーすることができたから。

―― それに、チームも結果が出ていた。

青山 うん。でも、仙台戦、(5月20日の)セレッソ(大阪)戦の2試合は、かなり厳しい状況で。ただ、(5月18日に)代表の発表があるから無理して試合に出たわけじゃなくて、この2試合が終われば中断期間に入るし、その週は半分しか練習に出なかったけど、ぎりぎりやれるな、という判断で出たんです。

 でも、ただ持っただけ。セレッソ戦は結果が出なくて、チームに迷惑を掛けてしまった。そのあと、代表に行ってメディカルチェックを受けて、「手術だね」と言われて。それはそうだろうなって。

―― わかっていたんですね。

青山 もう、朝起きて、普通に歩くだけで痛かったですから。広島では、それまでやってきたことが認められて、試合に出させてもらって、痛いながらもどうすれば貢献できるかわかっていたけど、日本代表ではそういうわけにはいかない。だましだましやる場所じゃない。そこで、ドクターがストップをかけてくれたので。

―― だから、ホッとした部分もあったと。

青山 ひざのことだけに目を向けざるを得なくなったので、この中断期間にしっかり治す、という方に気持ちが向かったんです。

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