誤った4年間。西野Jの健闘を「結果オーライ」で片付けてはいけない (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Tsutomu Kishimoto/PICSPORT

 とにもかくにも、4年前のブラジル大会以降、日本代表の歩みは酷(ひど)いものだった。

 ブラジルでの惨敗を受け、マスコミをはじめとする世論は「自分たちのサッカー」という選手たちの言葉をあげつらい、茶化し、揶揄(やゆ)し、それまで積み上げてきたこと、すなわちポゼッション志向のサッカーを否定した。

 世論だけではない。日本サッカー協会もおそらく同じ考えだったのだろう。ハビエル・アギーレ監督を挟み、日本代表の指揮を託されたのは、フィジカルパワー重視で、縦への速さにこだわるハリルホジッチ監督だった。

 もちろん、ハリルホジッチ監督が求めるものは、日本人選手に不足している要素ではあった。だが、苦手の克服ばかりにこだわる手法ははなはだ疑問だった。彼が目指すサッカーは、アルジェリア代表には合っていたのかもしれないが、日本代表(日本人選手)との相性が一貫して悪かった。

 事実、ロシアの地で日本代表が展開したサッカーは、前監督時代のサッカーではなく、明らかに4年前の「自分たちのサッカー」の延長線上にあるものだ。

 はっきり言って、日本協会は監督の人選を誤った。そして、その誤りを正さないまま、ワールドカップ直前まで引っ張った。

 最後の最後で監督交代に踏み切った日本協会の田嶋幸三会長は、最悪の事態を招くギリギリのところで日本代表を救ったのかもしれない。だがその決断は、やはりもっと早く下されるべきだった。

 実際、決勝トーナメント1回戦での敗退は、突貫工事で作り上げたチームゆえの"欠陥"が最大の敗因だったと言ってもいい。

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