南アW杯のメンバー入りは絶望。
そのとき突然、川口能活の携帯が鳴った

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「最初は、自分のプライドもあるし、"第3GK"で"チームキャプテン"というのは難しいなって思いました。でも当時、自分は34歳で、3度のW杯を経験してきた中で、どういうチーム状況であれば勝てて、どういうときは結果が出ないのかを見てきた。

 自分が試合に出られないのは悔しいのですが、そこを押し殺して『チームのために』という姿勢を見せた選手がいるとき、日本はいい成績を残している。

 それに今回、岡田さんは自分が試合に出ていない状況で呼んでくれた。割り切って、『チームのために』という気持ちでやっていこうと、このとき、決めました」

 選手であれば、容易に受け入れることができない"宣告"だろう。若いときの血気盛んな川口であれば、その場でメンバー入りを辞退したかもしれない。しかし、過去3度のW杯において、川口は試合に出られない状況にあっても腐らずに、チームに貢献してきたGKたちの姿も見てきている。

「フランスW杯のときのノブさん(小島伸幸)、日韓共催W杯のときのソガ(曽ケ端準)、ドイツW杯のときの土肥(洋一)ちゃんを見てきましたからね。GKにはGKにしかわからない精神状態があるし、今度は自分がそういう立場になって、正剛や永嗣を支えようと思いました」

 チームキャプテンで、第3GK――。

 川口にとって4度目のW杯は、「もっとも難しい挑戦」になったのである。

(つづく)

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