サッカー人生で最も苦しんだ1カ月。中村俊輔は何を考えていたのか (4ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 実際に南アフリカW杯後、多くの人が中村は「これで終わり」と見ていたが、中村はその後も輝きを失うことはなかった。見事なリスタートを果たして、所属の横浜F・マリノスで存分に力を発揮した。

 とりわけすごかったのは、2013年シーズンだ。33試合に出場して10得点を記録。チームをリーグ戦2位に押し上げる原動力となって、JリーグMVPを獲得した。さらに、天皇杯でもチームを21年ぶりの優勝へと導いた。

 苦悩のW杯後、中村は「終わる」どころか、一層レベルアップし、自らの存在価値を高めたのだ。

 そのとき、中村は南アフリカW杯で苦しんだ日々を思い出したという。

「南アから3年後、スタッフにも恵まれてMVPを獲ることができたのは、あのとき、諦めたり、腐ったりしなかったから。あそこで、次に向かって準備することができたからだと思うんだよね。だから、今もこの年齢までプレーすることができている。

 ああいう苦しいとき、落ちたときこそ、チャンス。きついけど、そのときにいかに前を向けるか。その差があとになって、大きな差になって出てくる」

 W杯で活躍した選手は一瞬、眩(まばゆ)い光の中で輝く。だが、選手として本当に評価されるのは、その後もいかにその輝きを持続できるか、あるいはさらなる輝きを発せられるか、にある。

 中村はW杯では輝けなかったが、屈辱の1カ月を糧にして、その後の自分を輝かせた。それができたのは、やはりW杯を抜きにしては語れない。

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